2016

2016/1/3
正しい者にだけ見える選択肢は初めから二重性を強い、前提にあるはずの愛情も形式的な欲望によって否定される。もともと平面でしか物事を捉えられない、つまり常にあらゆる土地で途方に暮れる醜さが、その二重性によってばらばらに引き裂かれる。受動の混乱と悲劇とが初めて感じた人生の肌触りだった。月が深海へ沈んでも、新しい朝の嘲笑から視線を逸らせなかった。
 
1/17
三時間くらい入浴した。湯船に浸かりながら友人が卒業制作で書いた小説を読んだ。
 
1/18
雪が降った。一日とても静かだった。近所のケーキ屋でガトーショコラを買った。
 
1/24
昨年は何となく観た映画をメモしていたので、新旧混合で面白かった映画を書く。順不同。
 
トゥルー・ロマンス
安藤昇のわが逃亡とSEXの記録
・神々のたそがれ
カイロの紫のバラ
・最高殊勲夫人
・女は二度生まれる
・博打打ち 一匹竜
・刺青
・リアリティのダンス
 
1/24
焦げ茶色のニットと白いベルトを買った。帰宅し、ジャック・リヴェットの訃報を知った。
 
1/30
ここ数日よく寝ている。今日も十二時間以上寝た。二時間くらい入浴し、風呂上がりにみかんを食べた。すっぱかった。子供の頃から「すっぱい」と「しょっぱい」をよく言い間違える。
 
2/3
深夜二時頃、吐き気がして目が覚めた。夕飯に食べたハンバーグが生焼けだったのかも知れない。帰宅してからで良かったと思った。
 
2/5
午前中仕事、午後仕事関係の資格試験。久し振りに平日の昼間に外出出来て感動した。日の暖かさや人通りの少なさだとかが懐かしくて涙が出た。わたしの血管は透明に透き通っていくようだ……。
試験会場が神保町だったので、さぼうるでバナナジュースを飲み帰宅した。永遠は自分の中にしか無いのだと思った。
 
2/14
自殺したくなるような天気。電車が少し遅れており、電車を待つ列の先頭に立ったサラリーマンの背中に、雲がすごい速さで流れていくため、早送りみたいに日が差したり翳ったりしているのを眺めた。
美容院へ行くため原宿へ。少し早く着いたので、表参道まで歩いてベン・アンド・ジェリーズでチェリー・ガルシアを食べた。クソみたいに滅入っていた気分が若干和らいだ。帰りに新しい下着を買った。化粧水を買うのを忘れた。
 
2/20
昼過ぎ起床。風呂に浸かり旧約聖書を読む。字が小さく読みづらい。十八時半頃友人宅へ行き、旅行の計画を立てる。泥酔して迷惑を掛けたくないため普段人の家ではあまり酒を飲まないが、今日は友人が酒を貰ったというんで日本酒を鱈腹飲んだ。水炊きを食べた。すべては忘れ去られ、終わっていく。
 
3/6
午前中試験。終わってから会社の同期に誘われ昼食を食べ、梅ヶ丘の梅祭りに行った。先程帰宅。疲れて何もする気が起きない。今週の日曜の晩に死にたい。
 
5/2
ゴールデンウイーク前半終わり。明日一日だけ会社がある。今日は午前中に起床し、ベルトルッチ特集を観に早稲田松竹へ行った。狭いロビーに人が溢れかえっており驚いた。整理券を配布していたので受け取り、フレッシュネスバーガーで一服してから十五時頃到着。先程よりすごい人集り。男女比は大体同じくらいだろうか、年齢層も様々だった。大学生の頃、初めて「ラスト・タンゴ・イン・パリ」を観た。誰もがそうかと思うが、とりわけ最後のタンゴのシーンと「十二夜」からの引用(「音楽が恋の糧であるなら続けよ」)がただただ素晴らしく、繰り返し観る映画の一つになった。初めて観た時に、わたしは銀座にあるシネコンでアルバイトをしており、そこで働いていた禿頭でウサギ狂いの社員が大のイタリア映画好きで、彼に「ラスト・タンゴ・イン・パリ」を観て面白かったと言ったところ「暗殺の森」と「1900年」のDVDを貸してくれたのだった。彼からは他にも「豚小屋」や「髪結いの亭主」などの映画をいくつか借りた。それらの作品を嫌がりもせず受け入れたのが嬉しかったのか、セクハラ紛いの言動に発展していったので素直に気持ち悪いと伝え、終わった。
閑話休題。今日観た「暗殺の森」は一般的にベルトルッチの父殺し、ゴダールとの訣別を描いた映画と言われているがゴダールがモデルのクアドリ教授はナイフでめった刺しにされて死ぬ。それはまあどうでもいいとして、劇中に出て来るクアドリ教授の電話番号が当時のゴダールが使っていた本物の電話番号らしく、個人情報保護法の無い時代は大変だなと同情を禁じ得ない。もしわたしがリアルタイムで観ていたら絶対ゴダールにイタ電した。それと、クアドリ教授の妻の名前がアンナで、そこは一切工夫しないんだなと思った。 「ラスト・エンペラー」は観たことが無いので観たかったが、疲れてしまったため帰宅した。ベルトルッチ作品はまあまあ観ているにも拘らず、有名どころの「ラスト・エンペラー」を観ていない。愛新覚羅溥儀の話は、小学生の頃竹野内豊主演のドラマで観て面白かったので興味はあるのだが。
 
5/7
今日は朝から晩まで楽しかった。こんな日はいつ振りだろう。誰もわたしに酷いことを言わないし、何も悲しいことが起こらない。大学時代の友人たちと府中競馬場に行った。初めて競馬に行った。馬券の買い方も新聞の見方も分からなかったが楽しかった。友人の一人が双眼鏡を持ってきており、パドックの時に借りて馬をよく見た。太陽の光で毛がつやつやと輝いており綺麗だった。結果は完敗だった。初心者なのに三連単しか賭けないのが悪い。友人の一人は一万くらい儲けていた。地下チンチロ頑張ろうと思った。夕飯を食べ、「ズートピア」を観に行った。ハムスター可愛かった。二十一世紀はうさぎどんもきつねどんもみんな仲良しでよかった。
 
5/11
数日前から、若尾文子が出ているからという理由で動画配信サイトで「おひさま」という朝ドラを観ている。若尾文子が出ていると言っても、彼女の役は井上真央演じるヒロインの数十年後で、ひょんなことから親しくなった来客者に過去の回想をする語り部なのでほとんど出て来ない。一度に何話も続けて観て分かったことだが、朝ドラとは毎日一話ずつ観るから良いのであり連続で観るものでは無い。ようやく一つの問題が解決したと思ったらまたすぐに次の問題が起こり、問題が問題を呼び、気の休まる瞬間が無い。ヒロインの人格に重大な欠陥があるのではないかと訝ってしまう。こういうハプニングをわくわくしながら観るのが醍醐味なのだろうが、いかんせんテレビドラマの観賞経験が乏しいため未だに慣れない。観たドラマで記憶に残っているのは、「スカイハイ」「トリック」「クイズ」くらいか。中学生までは性格が明るかったので他にも流行りの恋愛モノや青春モノのドラマも観ていたはずだが一つも覚えていない。楽しく観ていたのはこの三つだ。「ツイン・ピークス」もテレビドラマだが、わたしが産まれる前に終わっておりリアルタイムで観たわけでは無い。そう考えるとドラマを、しかも朝ドラをまともに観るのは初めてだ。散々書いたが、戦時中の一般女性(裕福な家庭だが)が主役の作品というのは他に知らないので面白くはある。あと井上真央は字がとても綺麗。字が汚いからと言って嫌いにはならないが、字が綺麗な人はそれだけで好きになってしまう。
水曜日は定時退社を推奨しているにも拘らず残業した。以前は月に一度くらいしか残業が無かったのに、最近ほとんど毎日残業している。帰りにランコムアディクションで化粧品を買った。オレンジ色が好きなのでそういった色の化粧品を使いたいのに、顔に全く似合わなくて残念である。
 
5/18
この一年、仕事しかしなかった。我武者羅に仕事をしたという意味では無く、仕事以外は寝るか消費するかで何もしなかったという意味である。消費では無く浪費というほうが正しいか。ただ物を買うだけの生活がこれから先も一生続くのかと想像し俄かに慄然とする。美しいものに触れても心に何も反映されない。いつも焦燥感と不安感に苛まれそれどころでは無い。返しそびれたフィルム、伝えそびれた謝罪、忘れてしまったそれらを必死で思い出そうとしている。
 
6/23
会社勤めするようになり一年と少し経つが未だにこの生活習慣に慣れない。すぐに疲れてしまい、常に眠気と倦怠感に苛まれている。職場に仲の良い人が居ないわたしを気遣ってかよく話し掛けてくれていた上司が異動になり、やたら二人で会おうと誘って来るようになり非常に悲しい。結局人間では無く穴の空いた女か。わたしは無い部分でしか存在しないのか。目映い光が複製され続け、その抜け殻の中に消えていく、裏ビデオの伸びきったテープ。
 
6/26
大学卒業後、農業を始めた友人が居り、田植えを手伝って欲しいと言われたので快諾、埼玉県北部へ行った。快特だか準急だかよく分からないがそういった電車に乗ったが、二時間近く掛かった。よくこんな距離を八年も通ったものだと思う。通えなかったから卒業まで八年要したのだろうが。
梅雨入りしたというのに陽の光が燦々と降り注ぐ絶好の田植え日和だった。てっきりズボンを膝まで捲り水田に足を浸して田植えするのだとばかり思っていたが、水は張らないと説明された。近隣の農家にやり方を訊いてみたが、誰もやったことが無いので失敗するかも知れないと言われ、まあそれは仕方無かろうと思った。わたしのほかにも別の友人四人と、農家の友人の友人で(紛らわしい)一度だけライブハウスで会ったことがある人が居た(この人はわたしのことを憶えていないようだった)。昼餉は神社の境内にある小さな公民館のような場所で、弁当屋で買った弁当を食べた。十七時半、疲労も限界に達し、友人宅で手足を濯いだり着替えたりし、居酒屋へ行った。麦酒が美味しかった。冷やしトマトやハツの塩焼き、山芋などを食べ、埼玉県の地酒を鯨飲した。田植えの最中に人差し指ほどの太さがあろう蚯蚓を何度も見掛けたという話になり、「蚯蚓のデザインは脳味噌に直接来る」と言ったら皆同意してくれた。終電が早いので十時過ぎ頃帰路に就いた。
 
7/10
一泊二日で富山県に行った。北陸新幹線に乗ったのは初めてだった。二時間足らずで到着し、驚いた。富山駅の駅ビルで、白海老の押し寿司と天麩羅、蛍烏賊の磯辺揚げを買った。その後、ラーメン好きの友人に付き合い大喜というラーメン屋へ行った。富山ブラックというんだそうだ。
高校生の頃にやっていたサイトで仲良くなった人に富山出身の酒飲みの子が居り、事前に羽根屋という銘柄を勧められていたので、探したが駅ビルには置いてなかった。酒蔵の場所を調べたが、宿から遠いということが分かり断念。観光案内所へ行き、羽根屋が置いてある酒屋は無いか尋ねると、歩いて十五分ほどの距離にあると言われ、そこへ向かった。今夜飲む分二本と、各々自宅へ配送する分とを購入。友人は自宅用に五本も酒を買っており、高給取りを羨ましく思った。宿に広いバルコニーがあったため、そこでずっと酒を飲んでいた。羽根屋はとても美味しく気に入った。特に夏季限定の物が美味しかった。
二日目は回転寿司で白海老を鱈腹食し、痛飲し、いろはというラーメン屋で白海老のラーメンを食べた。
 
7/12
有給休暇を取り、高校の友人とディズニーシーに行った。酷暑だった。映画館のような場所で、スクリーンになんとか言う亀が映写され、それと会話して楽しむという趣旨の遊技場があるのだが、亀が任意の観客を選出し、質問したりおかしな動きをさせたりし始め、当てられたらどうしようと不安で堪らなかった。わたしは何より参加するという行為が嫌いだ。学校で、先生が「甲だと思う人は挙手して」と言い、その後「乙だと思う人は挙手して」と言うことがしばしばあったかと思う。それでどちらにも挙手しない、非協力的で幼稚な生徒がクラスに必ず一人は居たかと思うが、その一人がわたしだ。ディズニーシーは楽しかった。
 
7/13
新しい物好きの友人がVRゴーグルなるものを購入したとのことで、友人二人と家に遊びに行った。VRゴーグルは弁当箱のような形および大きさをしており、黎明期なんだなと強く感じた。
 
7/28
長い一週間が終わった。昨日は泥酔した上に帰宅したのが深夜一時過ぎだったため、今日はいつにも増して眠たくて仕方なかった。会社の人が、ヴェルヴェッツやイギー・ポップの話をして来て、気を遣われているなあと思った。
十八時頃仕事を切り上げ、中目黒で友人と落ち合った。商店街の中にある洒落たイタリアンでワインを沢山飲んだ。昨日飲んだ店が肥溜めのような場所だったので、落差が大きかった。
 
8/6
朝から美容院に行った後、蕎麦を食べた。すぐに帰るつもりが、ぜんまいや蕎麦味噌を肴に昼間から飲んでしまった。その後日本橋で友人と映画を観、また酒を飲んだ。誕生日プレゼントを貰った。わたしは今月の下旬だが、彼女は来週なのに、何も用意していなかったので申し訳無く、嬉しい反面居心地の悪い思いをした。
 
8/8
台風で一日大荒れという予報だったが、早朝に一瞬雨が降っただけであとはいつも以上によく晴れた夏空だった。友人に薦められ、柴田聡子という人の曲をいくつか聴いた。日本のポップスはほとんど聴かないが、とても良いと思った。良いというか、凄いと思った。曲の作りも面白いし、伸びやかな歌声はずっと聴いていられる。五月にアルバムを出したそうで、コーラスやフルートを石橋英子がやっていると知った。なるほど確かに合っているなと思った。
 
8/9
男でも女でもどちらでも良いけど、まともな恋愛関係なんて一生築けない。この人にとって自分の代わりはいくらでも居て、いつか朝目が覚めたらどこか遠い知らない土地に可愛い人と旅立って、わたしは置いてけぼりを食うんだと想像し死にたくなる。人と仲良くならなければ見捨てられることは無い。もう何が素晴らしかったのか一つも思い出せない。
 
8/10
会社の飲み会だった。退屈というか嫌悪感しか無い。体調が悪くてとかなんだとか理由をつけてなるべく欠席しているが、久しぶりに出席したところ、上司と二年目の男の子が一年目の男の子(酒がほぼ飲まない)に無理矢理お酒を飲ませていた。見ていて不愉快極まりなく、あんまり可哀想だったので、わたしに注いでくださいと言って不味い日本酒を全部一人で飲んだ。やはり酒は一人か、気心知れた友人と飲むに限ると思った。帰りは大雨だった。
 
8/18
二子玉川で友人と花火を見る予定だったが、生憎の大雨のため予定を変更し、武蔵小山の駅前にあるピザ屋に向かった。駅に着く頃には雨も上がり、路地に入ると街灯の光が雨に濡れた道路を照らしていて綺麗だった。トマトのピザとチーズのピザ、フリット、鰯のマリネを食べた。
 
10/21
何が良ければ生きられて、わたしのどこが悪くてこんな風になっているのか。ずっと掴まっているこの手摺から早く手を離したい。

2015

2015/1/22
学生生活最後の授業が終わった。何となく、やったことが無かったなと思いタクシーで登校した。自宅から大学まで電車で一駅の距離なので、あまり特別の感慨は抱かなかった。
明日提出のレポート二つも書き終え、あと二十八日と三十日締切のレポートを二つ提出したら終わり。平穏に日々を過ごせればと思う。
 
1/29
早起きしてレポートを終わらせようと思っていたが、起床したのが十三時だったので叶わなかった。出掛ける準備をし、渋谷に到着。文化村で「毛皮のヴィーナス」を観た。面白かった。ポランスキーは、「水の中のナイフ」からずっと同じことをやっており、しかも面白くなっているからすごい。「おとなのけんか」も面白かった。そして何より、マチュー・アマルリックの演技が素晴らしかった。演劇は興味が無いが、演劇的と評される映画は大抵好きだ。カサヴェテスの映画は大抵最初舞台でやってから映画化しているし、川島雄三の「しとやかな獣」や黒澤明の「どん底」、……あと他にもあるがすぐ思い出せないので保留。
鑑賞後ハンバーガー屋でハンバーガーを食べ、O-EASTでTychoのライブを観た。スコット・ハンセンが何度もビューティフルナイトだと言っていた。確かに美しい晩だった。
 
2/28
サークルの女の子たちと一泊二日で山形県銀山温泉に行ってきた。一メートル近い積雪を見たのは初めてだった。新幹線に乗っている時、雪の照り返しが眩しくて仕方なかった。到着すると風が強く吹雪いていたので遠出はせず、温泉街で饅頭や日本酒を買った。夜になると温泉街にガス灯が点り、時代劇の舞台のようだった。帰りの列車の中で、携帯電話から成績発表を見た。卒業出来ることが分かった。
 
3/19
四日から十二日にかけて、中学からの友人二名とパリ、ロンドンを旅行した。旅行前、ドイツ文学専攻なのにドイツには行かないのかと何人もの人から言われた。無論ベルリンに行きたいと提案はしたが友人らは全く興味が無いようで、ほぼ無視同然で却下されたのだ。
パリ。オペラ駅近くのアパルトマンに宿泊した。想定していたより寒くなく、よく晴れていたため過ごしやすかった。しかし空気が乾燥しており、朝に洗濯した衣類を干して出掛けると、夕方観光して帰ってくる頃にはぱりぱりに乾いていて干物のようになっていた。パリコレ期間中だったからか、洒落た格好の人ばかりだった。寒いだろうから耳あての付いたフェイクファーの帽子を被って行こうかと思っていたが、暑いしダサいし被って行かなくて本当に良かった。靴も小学生から履いている小汚いコンバースをこの旅で履き潰して捨ててしまおうと思っていたが、友人にみっともないと言われ彼女のフィリップ・リムの革靴を履かされた。メゾンキツネの広告をよく見かけた。ルーブル美術館でいろいろの名画を見たが、何よりそれらが撮影可であることや、館内にカンバスを置いて油絵を描いている人が居たことに驚いた。絵を描いている人はさすがに許可を取っているのかも知れないが、日本の美術館ではそもそも許可が下りないだろうと思った。
パリの人は皆歩くのが速かった。今考えると、単に脚が長いだけだろうが、友人が「歩くのが速いほうがお洒落なんだ」と言い物凄い速さで歩き始め、わたしは歩くのが遅い上にカメラで写真を撮りながらだったのでたまにはぐれてしまい、やや辟易した。お互いの、というか主に自分の精神衛生のために「街並みをゆっくり見たいから別行動しない?」と提案してみたが「協調性無さ過ぎ」と一蹴された。旅行中、街中がなんとなく埃っぽいという話になった。鼻炎持ちの友人が鼻をかむと真っ黒の鼻水が出たと騒いでいたので、もう一人の友人とわたしも鼻をかんでみたところ確かに黒い鼻水が出た。
ドイツに行けなかったかわりに、パリで行きたいところはわたしの要望をほとんど叶えて貰った。「ポンヌフの恋人」が好きなので、ポンヌフに行った。正確にはあの橋はセットだが。モンパルナス墓地へ行き、ゲンスブールの墓参りをした。「リラの切符切り」に因んで切符が何枚も供えられていた。駅を出たところにあった花屋で買った粗末な花束と、切符と、煙草を供えた。写真を撮ったら友人に「バチが当たるよ」と言われた。ゲンスブールのバチなら率先して当たりたい。他にも著名人の墓が多数あったが、ゲンスブールの墓だけでも探すのに一苦労だったので名残惜しかったが止した。その後ドゥ・マゴのテラス席で一服し、文豪の気分を味わった。
ロンドン。ユーロスターという特急列車に乗った。ノッティング・ヒルにあるアパートに宿泊した。家主が猫を飼っているようで、廊下で度々遭遇した。桜のような花をつけている木があったが、アーモンドの木だろうか。滞在期間中、天候は噂に違わず悪かった。雨が降らないだけ良かったのかも知れないが、終ぞ空が霽れることは無かった。灰色の空に黒っぽい鳥(羽が大きく、鴎のような飛び方。鳶?)が何羽も旋回しており、長期間滞在したら鬱病が悪化しそうだと思った。テート・モダンで観たパズ・エラスリスというチリ人の写真家の作品が良かった。顔の無い男女の裸体を描いた絵があり、良いなと思い作家名を見たらルイーズ・ブルジョアだった。ゲルハルト・リヒターの絵が見つからなかったので、学芸員らしき人物に尋ねたが発音が悪かったのか分からないと言われてしまった。その後無事見つけた。
他にも様々な場所に行った。よく歩きよく食べた。人種差別されたら嫌だなと心配だったが、喫茶店のテーブルで現金を広げて清算していたら(無防備過ぎる)店員に危ないよと注意されたりなんだり、パリもロンドンも皆適度な距離感を持って親切に接してくれ有難かった。赤の他人にも親密にせよとは言わないし何より自分が出来ないが、すれ違うだけの人とも声を掛け合い生活しているのは良いことだと思った。
 
3/31
池袋。早起き出来たので新文芸坐で「時計じかけのオレンジ」「博士の異常な愛情」を二回ずつ観た。二回目の「博士の異常な愛情」で最後博士が車椅子から立ち上がる時、謎の感動に包まれた。クララ……。
終わってから大学に行き友人たちに会った。しかし気鬱がやまずどうしようもなかったので、小一時間で辞した。喫茶店に移動し読書した。帰路、外国人に、あなたはとても悲しそうに見えるというようなことを日本語混じりの英語で言われた。これから死ぬまで続く概ね不幸な日々に対し、なんら異議申し立てする権利を持っていない。いつまでも何者でも無い。頭の中にあるものだけが自分の所有物なのだと思う。
 
5/17
就職して二ヶ月が経った。日付が変わる前に就寝し、朝は六時に起床する。酒も飲まず博奕も打たず(つい最近まで、この「打つ」を「薬物を打つ」の意味だと勘違いしていた)女も買っていない。こうやってすべてが平らかになって死んでいくんだろうか。言葉が次々にここから離れていく。少し前までいくらでも下らない話を繰り返していた。咳き込んで声が枯れるまで話した。それがもう疲労で家で寝たくなって、豆腐の白さに涙が滲む。何も選べなかった。全部嘘だった。
 
6/14
原宿。服を買い、ネスカフェに行った。テレビで見たことがあるペッパーくんとかいう人型のロボットが居た。たびたび目が合い気まずかった。人工知能より、人間を機械化するほうに興味がある。どんな重い物も持てる手とか、水上を歩ける足、ステンレス製の羽……。店を出て美容院に行った。いつも正確な周期で来ていた生理が来ない。
 
6/20
化粧を落とさず寝てしまった。最近午前中ずっと憂鬱だ。夜は、最近西馬込に越した友人宅に行った。アロマキャンドルを焚いたら火が強く燃え盛り黒煙がもうもうと立ち昇った。あて海苔を肴にハイボールを飲んだ。線香花火をした。
 
7/22
先週末より夏季休暇を取った。なんとなくタイに行った。一人で海外旅行するのは初めてだった。滞在期間は二泊だったのであっという間だった。バンコクはラムカムヘン駅前にあるホテルに宿泊した。随所に経年劣化は見られたが、思っていたより清潔で広い部屋だった。観光らしい観光はまったくしなかった。象にも乗っていないし寺院にも訪れていない。興味が無いわけでは無く、仏像?くらい見ようかと思っていたのだが、バスの乗り方が分からず諦めたのだった。というのも、停留所の看板にどの系統のバスが停まるのか番号が表記されているのだが、その番号のバスが来ず、書かれていない番号のバスが次々とやって来るのだ。ガイドブックを開くと、「バスの車掌は一切停留所名を言わないので、勘を頼るか、地図を見て下車するしか無い」と書いてあった。結局タクシーに乗ってカオサン通りへ行った。そこはバックパッカーの聖地だとかで、下品な客引きが居たり大麻柄の服が売られていたりと、目に見えて治安が悪そうだった。疲れたので飲み屋に入りタイビールとジントニックを飲んだ。身も心も仏から遠いところへ来てしまったと思った。ジントニックなんて久し振りに飲んだ。タイの学生カップルはスクーターを二人乗りしていた。スクーターの後ろに観光客を乗せてタクシーのように目的地まで連れて行くというのを生業にしている人が居るらしかったので、駅まで乗せて貰った。カーブする時が特に怖かった。
サイアムという渋谷原宿のような雰囲気の街で、銀色のワンピースを買った。比較的都会らしい町並みではあったが、偉い人に言われたからこういう風にしただけで、利便性だとか国際社会の規範に則った発展だとかに関心は無い、という印象を受けた。つまり色々の造形がテキトーだった。警察官がハンモックで昼寝をしていて良かった。
 
9/8
わたしの容姿はとても醜い。あまり街中でも見掛けないくらい醜い。中学生の頃は前髪を目の下まで伸ばして顔を隠していたが、加齢と共にどうしようも無いと思うようになり、未だに前を向いては歩けないがとりあえず普通の髪型をするまでにはなった。しかし会社では、ただ若いというだけで、美しい容姿の先輩よりわたしのほうが優遇されることがしばしばあり、その時の、彼女らの忌々しげな視線といったら無い。でも自分が彼女らの立場だったら同じような目をするだろうから責められない。女優やモデルほど美しくなりたいなどと贅沢は言わないから、せめて他人に不快感を与えないような容姿だったらどんなに良かっただろうと思う。誰にも物怖じせずに話し掛けられて、自分の話をしたり、笑ったりして、もしかしたら誰かに好かれて人並みの恋愛も出来たかも知れない。こんな顔と体で生きていて恥ずかしいとちゃんと思っているから、せめてその一点だけで許して欲しい。何を?
 
10/9
自分に何かがあるから生きるのを許されているのでは無く、周囲の人々が優しいから生きていけるのだと思う。自分に何かがあるよりも、優しい人間が地球上に存在することのほうが良いことだと思う。
 
10/12
「大切なものを失う不安」というのを感じたことが一度も無い。大切なものが自分のものであった試しが無いからだ。わたしが眠っている間に神様が何か重要な仕草をして、世界中の人々はそれを目撃している。むなしい噴水の周りには誰も居ない。水瓶を持った天使の彫刻は冷たく汚い苔の塊になる。
 
12/26
秘密ばかりが増えていく。可能性としての夢を生きていても、痛みがわたしをここに連れ戻す。

2014

2014/1/26
年始からつい二週間程前までオーディトリウムでカサヴェテス特集が組まれ、全作品を観た。すばらしい体験だった。大学の図書館で彼に関する本を借りたので今から読む。
 
4/16
本当に偶然、図書館で手に取ったデリダの「火ここになき灰」があまりに面白く、本屋で買った。就職活動を全くしていない。
 
4/22
日本酒を飲みながら、メイヤー・ホーソーンによる「幽霊の気分で」のカバーを聴いた。最近また両手が巨大化する感覚に毎夜苛まれている。どこもかしこも永遠から振り落とされているのを知覚せざるを得ない。
 
4/27
暖かくなってきたらしいが部屋に篭りきりなので分からない。最近はボフミル・フラバルの「あまりにも騒がしい孤独」「厳重に監視された列車」、スピノザの「エチカ」を読んだ。ファズビンダー特集がどこぞでやるらしいので、それまでに体調が回復していることを祈るばかり。
 
4/30
ツルゲーネフ「はつこい」を読んだ。わたしたちは夢で通った薄暗い螺旋階段をどこまでも下っていく。勢い良く吹き上げる風に、青色のスカートが捲れる。それに気付かないで、燥ぎながらどこまでもどこまでも下っていく。
 
5/2
渋谷。友人と「アデル、ブルーは熱い色」を観た。劇中、頻繁にボロネーゼを食べる場面があり、終わってからどちらからともなくボロネーゼを食べに行った。生牡蠣を食べる場面もあり、二軒目にオイスターバーへ行った。短絡的である。
 
6/16
新宿。前評判が良かったので「グランド・ブダペスト・ホテル」を観た。ウェス・アンダーソン作品はこれが初めてだと思う。コメディ映画なのに一つも面白くなくて絶望的だった。とは言えわたし以外の観客は笑っていたので面白い映画なのかも知れない。予告編でホドロフスキーの「リアリティのダンス」が流れ、こっちを早く観たいなと思った。
 
6/30
あらゆる人間が泣きながら縋ってくる。たくさんの言葉を聞かされる。一方でわたしは世界に向けて、返事の無い手紙を書き続けている。雨が大きな音を立てて降る。それがすべてからこの部屋を隔絶する。湿った呻きが上がる。壁が決壊し、外から大量の雨水と土砂が流れ込んで来る。呻きが濁流に飲まれていく。人称を欠いた時間が蠕動する。舞い込む過去を拒めずに、疲労の底へ溶けて消える。
 
7/3
渋谷。イメージフォーラムジャック・タチ「左側に気をつけろ」「ぼくの伯父さんの授業」「ぼくの伯父さんの休暇」を観た。ゴダールの「右側に気をつけろ」の内容を全く覚えていないのが悔やまれた。
さはいへど そのひと時よまばゆかりき 夏の野しめし 白百合の花(与謝野晶子
 
7/8
北鎌倉。ゼミの人たちと「鉢の木」という店で精進料理を食べた。その後明月院で紫陽花を観た。帰りしな餡蜜を食べた。
 
7/22
気管支炎になった。去年の梅雨辺りから、数ヶ月ごとにいろいろな病気にかかっている。これの前は春に胃炎になった。クーラーのリモコンを紛失してしまい参っている。外で油蝉の鳴くのが聞こえる。
 
8/1
新宿。伊勢丹で化粧品を購入し、ホドロフスキー「リアリティのダンス」を観た。とても面白かった。帰りに山本精一の「ファルセット」というCDを買った。iPodの再生回数を見たらセルジュ・ゲンスブールの「Leau a la bouche」を半年で四百回再生していた。
 
9/15
けものがれ、俺らの猿と」の映画を観た。小説で描かれていた過剰な現実をうまく映画にしていると思った。果たして小説を読んでいない、というか町田康に興味の無い人がこれを観て面白いと思うかと言えば面白くは無いと思うが。「婆の駒」は映画でも笑えた。
 
9/25
まったく単位が取れておらず、後期も週四日授業に出ないといけない。四年生になったら大学に通わなくてよいと聞いていたから安楽な気持ちで大学生活を営んできたというのに、何故このような目に遭わなくてはならないのか理解しかねる。仕方ないからこれを機に早寝早起き出来るようになろうと思い立ち、水曜と木曜は一限から授業を入れた。昨日は水曜日だったが寝坊のため行けず、今日は十五分ほど遅刻したがまあなんとか間に合いそうだということが分かった。その後の授業は出ずに帰宅した。
 
10/25
ミヒャエル・ハネケ「ピアニスト」を観た。母娘の共依存、すべてのアダルトチルドレンに愛を。
 
10/27
ジム・ジャームッシュダウン・バイ・ロー」を観た。エンドロールで流れたトム・ウェイツの「tango till they’re sore」が格好良かった。
 
11/16
青山。友人に誘われ、スパイラルホールへ「寺山修司を歌う 読む 語る」という催しを聴きに行った。わたしも友人も寺山修司に興味は無いが、彼は穂村弘、わたしは町田康が好きなので行った。登壇者は二人のほか俵万智川村毅が居り、トークショウの前に三上博史による詩の朗読があった。それで思い出したのだが、中学生の頃、今はもう無くなってしまった新宿ルミネ2の本屋で偶然手に取った写真集に寺山修司の詩が載っていて、お金が無いので買えないが好きでよく立ち読みしていた。今回のイベントの主催者である田中未知(寺山修司の秘書だったらしい)がその「写真屋寺山修司」という本の編者だったそうだ。「空は空想の流刑地」という一節がとても好きだったので思い出した。穂村弘が「寺山修司は神様からしか見えない景色を歌にしていた(米粒のような遠くからは決して見えないものが見えたり、偶然見かけた車の中に死刑囚が乗っていることを知っていたりする)」と言っていたのが面白かった。町田康が「わたしは寺山修司を読んだことがほとんどありませんが、周りの友達で影響されている人はたくさん居ます」と言っており、何しに来たんだろうと思った。多分彼自身が一番そう思っていただろう。
 
11/19
ニーチェの馬」を観た。面白かった。Amazonのレビューに目を通していたら「緊迫感があり一瞬も目が離せなかった」というような内容が散見されたが、わたしが感じたのは真逆で、この映画に於いて目を離して困る場面なんて一瞬も無かった。人生がいかに虚無であるか、虚無的なのでは無く虚無そのものであるかということをまざまざと突きつけられた。われわれは平面的な繰り返しによって、何十年もかけて短い一日を再現しているに過ぎない。

2013

2013/1/10
外国人に道を聞かれ、説明したら突然頬を触られた。頬を触るようジェスチャーで促され、何となく断りきれずに一瞬だけ触り返した。老婆が鳩を手懐けていた。
 
1/25
渋谷。オーディトリウムでゴダール特集を観た。まだしばらくやるようで、割引になるチケットを買った。ジュンク堂で本を買い、ラーメンを食べ帰宅した。
 
2/3
六本木。シネマートで「美代子阿佐ヶ谷気分」を観た。あんなところに映画館があるのを知らなかった。豚カツ定食を食べ、帰宅した。
 
2/12
神保町から散歩していたらニコライ堂に着いたので中に入った。小さな蝋燭が素朴な光を灯し、美しかった。ストーブにあたっていたら敬虔な気持ちになった。清貧。
 
2/15
原宿。MoMAの店で買い物をしたところ、ニューヨークのMoMAの割引チケットを貰った。ニューヨークに行く用事は無い。
 
3/1
東京大学。友人に誘われ、ジュノ・ディアスと綿矢りさニコール・クラウス川上未映子の対談を傍聴した。司会として最前列に柴田元幸が居たのが一番興奮した。ジュノ・ディアスが母親が怖いという話を何度もしており面白かった。
 
4/15
家の近くの図書館に行ったが休館日だった。大学には行ったが授業に一つも出なかった。大学の図書館で友人を見掛けたが声をかけなかった。買ったチョコレートを食べなかった。「ボヴァリー夫人」の第一部をようやく読み終えた。蝋燭を「ろーそく」、天鵞絨を「びろーど」と平仮名で表記しているのがなんだか間抜けだと思った。読んでいたらゴダール「はなればなれに」の「生きるべきか死ぬべきか 君の胸の谷間で それが問題だ」という手紙の文章を思い出した。
 
4/19
ゼミの教授主催で、目白庭園の赤鳥庵に於いて演奏会と茶会があった。演奏者は教授の友人のイタリア人で、シュトックハウゼンの「星座のための12のメロディー(オルガンによる)」とケージの「4分33秒」を演奏していた。夕方から夜にかけての会だったため途中から空腹を感じ、四分三十三秒間わたしのお腹が鳴り続け、隣に座っていた友人が笑ってしまい恥ずかしかった。
 
4/30
昼間、大学の図書館で移動しようと階段の前まで行くも、下向きの階段と上向きの階段のどちらに行けば下に行けるのかが分からなくなってしまい、しばらく動けなかった。偶然通りかかった友人に訊き、事無きを得た。
 
5/14
通っていた高校は、海外にいくつか姉妹校があったりと国際交流に力を入れていた。留学生の受け入れも熱心にやっており、わたしのクラスにも半年ほどロシアからの留学生が居た。その人が先程テレビに出演し、たんぽぽを食べていたと友人からメールが来た。
 
5/29
レポートを書くため毎日大学の図書館にこもっている。いくら図書館が好きとは言えさすがにうんざりしてくる。マルクスもこうして「資本論」を書き上げたのだと言い聞かせ鼓舞している。
 
6/17
池袋。「華麗なるギャツビー」を観た。バズ・ラーマン監督の最新のもの。原作が好きで、主演のディカプリオも好きなので期待していたが肩透かしを食らった。近年稀に見る駄作。
 
6/27
十七時から酒を飲んでいた。東京は入梅して間も無く、湿気が不慣れな手つきで渋谷の街を撫でていた。金が無かった。よく分からず入った料理屋の白ワインはばかみたいに安かった。しなびたほうれん草が胃の中でごみ屑同然の悪臭を放つ。冷房が当たり体温が奪われても、アルコールで感覚が麻痺して何も感じない。煙草の灰がテーブルに落ちる。右手の席に座っている四十がらみの男が、祈るように合わせた手の上に顎を乗せ、入り口のほうをじっと見ている。わたしは特筆すべきことが無い日々とこの店の中で、必死に寄りかかれる悲しみをひねり出そうとしていた。
 
7/17
近頃左の脹脛が痛むので病院に行った。待合室でパウル・ツェランの詩集を読んだ。病院に行くのは、生活を一旦引き戻されるというか、思考を肉体に結び付けられる感がありどうにも苦手だ。一度目を向けると次から次へと悪いところが見つかる。
部屋の掃除をしていたらアルバムを見つけた。五、六歳の頃だろうか、ピアノの発表会の写真があった。発表会の時、わたしは必ず意図的に演奏を間違えるようにしていた。後の人の緊張がほぐれると思ったからだ。昔から人に優しさを与えることが出来ず、自分を損ねることでしか他人を思い遣れない。
 
7/18
アルバイト先の人から村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を借りて読んだ。村上春樹の本は「ノルウェイの森」しか読んだことが無い。小説を書くのが上手だと思うが好きだと思わない。どうでもいい作家の一人。
先日友人から借りた雑誌にVISSARIONというロシアの新興宗教の特集が掲載されていた。髭を生やし、別珍の寛衣を纏った教主がいかにも聖者らしかった。アントロポモルフィズムスを剥離させるための単純化
 
7/27
明後日ゼミのレポートの提出期限。出来れば今日中に終わらせたい。何故なら明日友人たちと鰻を食べに行くからだ。一昨日学部長からメールが来ていて、春休みに提出したレポートを学部誌に掲載したいとの旨が書かれていた。嬉しかった。論理的思考力が無いのでレポートを書くのは苦手だが、今回もなんとか良いものを書こうと思える。ただ、夏休みの間に加筆修正を加えなくてはならないのが面倒だが。
 
7/28
現実の出来事を一つの契機として、空想が花のようにぽつぽつと咲く。どこからが空想でどこまでが現実なのかもう分からない。土砂降りの雨が降っても洗濯物を取り込まないが、新聞の集金に来た老人には出来るだけ愛想よく挨拶をする。孤独の新しい在り方の前でいつまでも立ち往生している。日々は幻よりもぼんやりとしている。
 
8/3
平凡な毎日。下品な言葉を遣う酔っ払い。彼が向けてくるカメラのレンズに向かって微笑みたくない。小さな金の環の中で、人々は仰向けに浮かんでいる。喜びの形態は誰かの手によって固定されており、美しさ以外に何ものも価値を持たなくなっている。「もっと詩を」と叫んだ後には何も残らなかった。
 
8/4
わたしが世界から脱落している間、彼らは三十人の天使と代わる代わるセックスしている。真実はわれわれを傷つけさえしない。蟹が吐いた泡が全身を包む。天にも昇る心地とやらを強引に押し付けながら。
悪疫に侵されている。自分から見放されないために必死だ。一万年後の約束を交わしても毎日不安で仕方ない。今見える光景があまりに楽園的であるため、人間はすぐに「そうあること」をやめてしまう。
 
8/11
午前四時、寒くて目が覚めた。スマートフォンの画面には三十一度と表示されている。冷房もつけていない。しかし震えが止まらない。指先が冷たく痺れている。なんとか身体を起こし上着を羽織り、布団を引き摺り出して頭まで被る。ようやく震えが収まるも、間も無く吐き気に襲われる。ということが今朝あった。先程原因を調べたところ、蛋白質の欠乏や、月経前の高体温期にしばしばあるなどと書いてあった。どちらも当てはまる。
 
8/15

「春にして君を想う」というアイスランドの映画を観た。ずっと観たかったのだが、近所のTSUTAYAは恐らく誰かが借りてそのまま返していないようで、渋谷のTSUTAYAで借りた。映画の最後に、ブルーノ・ガンツが天使の姿で出て来た。
 
8/16
 「ブラックスワン」という映画を観た。自分と母との関係を想起させ、落ち込んだが、面白い映画だった。わたしたちの関係はマゾヒスティック・コントロールそのものだ。人間として生きていくためにはこのことについてきちんと考えないといけないと分かっているのに、どうしても目を逸らしてしまう。
 
8/17
友人と映画を観に行く予定だったが、体調が悪いとのことで不意になった。テレビをつけると新宿東口の見慣れた景色が青空をバックに映され、画面下に最高気温三十四度とテロップが出ている。外出しなくて正解だ。セリーヌ「夜の果てへの旅」を読む。
 
8/28
高田馬場早稲田松竹ジョン・カサヴェテスの映画を観た。「ラヴ・ストリームス」「こわれゆく女」。すごい映画を観た。
 
8/29
昨日で二十一歳になった。十九歳は思い出すだに最悪だった。いや、思い出すことも無いくらい最悪の日々だった。出来事は意味を持たない。感情は宇宙の形質を採る。目的は空虚さという点に於いてのみ共鳴し合う。時制は軸を失う。昨日が明日を追い越す。あらゆる静かな混乱。二十歳はもう少しマシだと良い。……という具合の二十歳だった。これまで生きた時間をあっという間だと感じたことが無い。天国的に冗長である。恐ろしく退屈。最悪であることが日々上手くなっていく。もうじき皆わたしのことを忘れる。
 
9/1
日に日に感じることが無くなる。われわれはそれでもここからそこへ移動する。数時間毎に。そして異なる「あなた」に同じ話を繰り返す。いくつか前の今を過去と呼んで思い出す。あまりに繰り返されたがために何の感興も催さなくなるまで。
生活と悲しみは並行して存在する。両者は等しく照らされ、やがて翳る。しかし手を伸ばし合いはしない。出来事は意味も無く延々と続く。悲しみの結論は出来事によって齎されるのでは無い。それは無遠慮な「考え直す」という作業によってのみ為される。少なくとも生活は途切れない流れである。
 
9/9
栃木県の民宿に泊まった。友人たちが焼き茄子と手打ちうどんを作ってくれた。食後に供されたサングリアも手製とのことだった。料理がまったく出来ないので、皿洗いを一生懸命やった。
帰宅してすぐ寝てしまい、六時に目が覚めた。YouTubeでレコメンドされたピアノ音楽を聴いた。こんな風に夜明けを迎えると、自分の手には何も無いという事実が至上の幸福に感じられる。空は灰色で、残月の予感が透き通って心地よい終わりが見えてくる。風が吹かなくとも、両手は必ずわれわれを支えてくれる。
 
9/22
酷い気分だ。夜はまだいいが、昼間が酷い。倦怠感と頭痛。薬の量がどんどん増えていく。誰にでも当て嵌まる過程。晴れたニューヨークの空に巨大な煙の塊が浮かんでいる。わたしは彼女の次の次に不幸だ。今この瞬間も「誰が最も不幸か」を決めるための催しが世界中のいたるところで行われている。そこにわたしが選ばれることは無い。わたしだけは絶対。
 
9/28
これまで犯した窃盗の対価をこんなふうに、愛の剥奪によって払わされている。免疫力の低下。毎朝不安で目が覚める。病院の帰りに赤地に青い花柄のワンピースを買った。ほとんど終わりかけの時間。
 
10/19
レポートを書くのに久し振りにゴダールの「彼女について私が知っている二、三の事柄」を観た。「LSDが無ければカラーテレビをどうぞ」という台詞が好き。カラーテレビがインターネットになっただけで何も変わっていない。
 
10/24
 近頃カミングスの詩をよく読む。
 
we are for each other: then
laugh, learning back in my arms
for life’ s not a paragraph
 
and death I think is not parenthesis
 
というところが良いと思った。
 
10/25
 六本木。東京国際映画祭に初めて行った。「ウィー・アー・ザ・ベスト!」というスウェーデンの映画を観た。サクラグランプリ受賞作品らしいが、映画は好きだけどあまねく賞というものに関心が無くどれくらいの位置付けなのかもよく分からない。エンドロールが終わり場内が明るくなってから、観客皆で拍手をした。上映終了直後のあの感じがどうにも得意で無いので、良かった。
 
12/30
アルバイト先の忘年会だったが、退屈だったので途中で抜け出し一人で酒を飲んだ。「ロリータ」を読み先程帰宅した。

2012

2012/1/1
高田馬場早稲田松竹小津安二郎の映画を観た。スクリーンがぴかぴかと光っているように見え、とても綺麗だった。
長い夢を見ているような一年間だった。自明のことがすべて奇妙に感じられる。世界は不自然だ。
 
1/6
原宿。明治神宮へ初詣。御神籤を引いたら「努力しないと社会の流れから取り残される」とあった。最近風呂とテレビが怖い。捨てたい。
 
1/14
友人がニール・ヒル死後のSPKはあまり好きじゃないと言っていたが、わたしは好きなので、そうなんだねと言った。「オテサーネク」と「サヴァイヴィングライフ」を観た。「オテサーネク」は確か三度目。
 
1/21
一日寝ていた。土曜日はいつも一週間蓄積された疲労が溢れ出す。夏は毎日外出していた。家でぼうっとしているのが嫌だった。働いて働いて、終わったら夜遅くまで友人たちと街を徘徊した。或いは一人で音楽を聴きながら何時間も散歩した。今では信じられない。なるべく外に出たくない。気力も無い。形にならない思い出の海。忘れてはいけない何かを取りこぼしている。沈静化する欲望の不自然さ。もうここまで来てしまった。
 
1/29
一時間ごとに目が醒める。夢をいくつも見る。現実の数を追い越しそう。彼らの感覚を借りて知覚する。何もかもが懐かしい。知らなくても分かっている、彼らの愛するものがわたしの愛するものであることを。寂しさを飲み込んでも、真実は失われずそこにある。今日の朝日が一番美しいと言う。
 
2/19
恵比寿。和田永のライブを観た。どういう仕組みなのかよく分からないが、ブラウン管のテレビを使って演奏していた。良かった。薬がよく効いて気分が高揚し、隣に座っていた女性に「楽しいですね」と話し掛けたところ、怪訝な顔をされ無視された。
 
2/21
清澄白河東京都現代美術館。特に見たくて行った展示では無かったが、わりに退屈しなかった。ミュージアムショップに行ったら誰かのノイズ作品がかかっており和んだ。
 
2/28
「ポゼッション」を観た。薄暗い旧西ベルリンの街並み、気の触れた女、巨大なクリーチャー、脈絡の無い会話の数々。コバルトブルーは狂人の色であり、神様はわたしの中に居る。そして愛する犬は、階段の下で死が訪れるのを待っている……。
 
3/4
北園克衛の詩集を買った。最近知って、良いと思った。
 
3/10
最後にもう一度海を見たいと彼女が言う。わたしはそれを叶えてやりたいと思う。助手席に乗せ、海岸沿いの道を走る。静かに揺れる海面に太陽が沈んでいく。彼女にどんな言葉を掛けるのが相応しいのか分からない。帰りは一人で車を走らせる。来た道を辿り、出て来た場所へ戻る。
 
3/24
顔を上げると、光の粒子が春の夜霧に染み込んで浮遊するのが見え、もの悲しい。あの頃持っていた優しい言葉の群れは、もう全部捨てたよ。
 
3/25
六本木。テイトウワのDJを期せずして聴けた。
 
3/28
入谷。灰野敬二のライブ。途中少し寝た。初めてウイスキーを飲んだ。美味しかった。
 
4/6
初めてドクターペッパーを飲んだ。口にするものに好き嫌いの無い母が唯一嫌いなものとして挙げるのがドクターペッパーで、人間の飲むものでは無いと言われ育ったため、あの小豆色の缶を自動販売機で見かけるだけで居心地の悪い思いをしたものだった。それを思い切って飲んでみた。美味しくて驚いた。
 
4/17
十数年振りくらいに東京タワーを上った。階段で上ったので足が疲れた。明日は筋肉痛になっているだろう。スカイツリーより東京タワーの見た目のほうが好きだ。高い建物からの眺めはすべて同じに見える。やや高所恐怖症なのでしんどかった。
 
8/9
台湾に行ってきた。海外旅行は修学旅行で行ったニュージーランド以来だ。夕焼けが綺麗だった。でも誰も触れない。そこが良いと思った。
 
9/13
三十分程の素晴らしく良い眠りを体験した。運命は従順な者を導き、反抗する者を引き摺る。
 
10/1
深刻な未来不足。mum をよく聴いた。

2011

2011/1/1
年末年始はお笑いの特番をやるので嬉しい。ポッキーのテレビコマーシャルにYMOが出ていた。
 
1/3
原宿。TOKYO BOPPERで靴を買った。人が多すぎて五分くらいで帰った。正しさと優しさが必ずしも一致しないのがつらい。
 
1/4
新宿。高島屋で蕎麦を食べ、喫茶店で紅茶を飲んだ。勉強したいのだが眠くなってきてしまった。このまま眠れたらどれだけ気持ちがいいだろう。わたしの失態に対し、表面化されない軽蔑があるように感じられる。
 
1/15
センター試験だった。行ったことが無い場所で知らない人たちに囲まれ、長時間座っていたので疲れた。わたしの通っている学校の生徒はうるさい人が多いと思った。
 
2/1
初めての入学試験だった。行く前は少し緊張したが、会場に着いたら落ち着いた。あんまり寒くてコートを着てマフラーを巻いて受験したが、そんな出で立ちは自分だけだった。メルトバナナを聴きながら帰った。
 
2/7
朝から全身が怠く、薬を飲んで終日休んでいた。暗い部屋で考え事をしていると、ありもしない妄想に取り憑かれて息が出来なくなる。でも体を起こして灯りを点けることがままならない。先程ようやくPCを使う気力が起こった。先日受験した大学から合格の報せがあった。
 
2/13
適当な言葉が見つからない時、他の人はどうするのだろう。思ってもいないことを言ってお茶を濁すのだろうか。わたしはいつも黙ってしまう。怖くなってその場を去りたくなる。どう答えればあなたが満足なのか訊きたい。その通りに答えるから。相手がわたしの愚かさを察して見下してくれるのを感じ、安堵する。
 
2/15
昨日で一通りの試験が終了。日本橋と神保町に行った。久しぶりのジャニス。
 
2/16
新宿で映画。帰りに菓子屋でりんごジュースとラズベリーのタルトを買った。
 
2/20
とりあえず第一志望校にしている大学に受かった。良かった。よく学校の図書室で一緒に勉強していた友人も志望校に合格したと電話があり、併せて良かった。
 
2/23
学芸大前。イギリスの輸入雑貨を取り扱う店でノートとチョコレートを買った。店主が優しい人だった。
 
2/25
部屋の隅で、猫くらいの大きさの鯨が暴れているせいで部屋中水浸しになっている。明日ダスキンの清掃が来るからやめて欲しいと何度も言っているのに全然話を聞いてくれない。
 
3/1
原宿。先日春一番が吹いたというのに、今日は雪が降った。震えながら珈琲を飲んだ。
 
3/2
過日、状態のよい参考書や問題集を母の知人の娘に譲ったところ、お返しにクオカードを貰った。池袋のジュンク堂へ行き、リルケの詩集と萩尾望都の漫画を買った。喫茶店で扉付近の席に座ったら、客が出入りするたびに冷たい風が吹き込んで寒かった。
 
3/12
昨日、大きな地震があった。たくさんの人が死んだ。わたしは春休みだというのに友人と合格の報告をするのに高校に居て、帰れなくなり教室で一夜を明かした。テレビのニュースを観ていると気が滅入るので、みんなで余った模造紙に絵を描いて遊んだ。携帯電話が繋がらないため、学校に一台だけある公衆電話に並んで家に安否の連絡をした。皆長いこと話し込んでいたが、わたしは二言三言で電話を切ったので非情な人間だと思われてしまった。先程ようやく帰宅した。日本人の歌が聴きたくてP-Modelとaunt sallyを聴いた。
 
3/18
明日、といってももう午前四時なので今日だが、高校の卒業式。送別会も謝恩会もすべて中止になった。式自体も簡略化するらしい。出席出来ない人もたくさん居る。何の疑いも無く予定された行事が滞りなく行われるということ。日々当たり前のことが当たり前では無くなっていく。長い時間をかけて復興するんだろうけど、もう震災前には戻れない。
卒業式が終わり帰宅。学校は嫌いだが、やはり震災のこともあってか、こんな状況で慣れ親しんだ場所を去らなくてはいけないというのは、とても心細く不安だ。大きくて温かいものに抱かれて眠りたい。
 
3/27
最近はまた自堕落な生活を送っていて、正午頃起床、二時間程ベッドの中でぼんやりし、昼食をとり、お菓子と緑茶を飲み、炬燵で読書、そのまま寝てしまって夕飯。また読書しているうちに朝になり、眠る。
 
3/29
長期休暇は自意識が肥大化するばかりで疲れる。大学の入学式は中止になり、五月まで授業が始まらないらしい。アルバイトでもしようかと思うが気力も無いし、未だ震災の影響が色濃く残っており目星い募集先も見つからない。急を要するわけでも無いので相変わらず自室に引きこもっている。綺麗な物に触れたい。
 
3/31
気分転換に早稲田松竹で映画を観た。風が暖かく、もう春なのだと感じる。自宅の高くでは見かけないが、桜ももう咲いているのだろうか。
 
4/1
大学で入学者説明会があった。帰りにカンペールで鞄を買った。友人に勧められ、桜庭一樹という人の本を読んだが面白くなかった。
 
4/21
高円寺。中学生の頃よく服を買ったりライブを観に来たりしていたが、久し振りに来た。カレーを食べて、カレーを食べるのに向いていそうな皿を買った。
 
4/22
胃痛に加え貧血気味。mogwaiを聴きながらぼうっとしていた。いつにも増して人と会話する気にならない。四月も終わりに近づいているというのにまだ寒い。日差しはある程度春めいてきたように感じるが、風は暖かいというよりは単に湿気を孕んで薄暗く、冬が立ち去ってしまいいたずらに時間が過ぎているだけのような気がする。計画停電はまだ終わらない。
 
4/29
入学者説明会で隣の席になった子の付き添いで、軽音楽サークルの新入生歓迎会に参加した。中学一年生の頃に軽音楽部に入ったが、協調性が無いために一ヶ月で退部した身なので入部する気は更々無かった。ただ居れば良いと思っていたら、自己紹介をすることになってしまい最悪だった。名前と学部学科を言うのはまだ理解出来るが好きなミュージシャンも言わなくてはならず、何が有名なのか分からなかったので今朝聴いていた人の名前を挙げたら物凄く白け、悲しい気持ちになった。予想はしていたが大勢の人が集う飲み会は最悪だった。これからもなるべく参加しないようにしようと思った。
 
5/7
授業が始まった。
 
6/29
高校の友人とその彼氏と会った。友人の手帳には彼氏の、彼氏の手帳には友人の予定が書いてあり、それはかつて彼女とわたしがしていたことだった。友人は別れ際、彼氏の乗る電車のホームまでわざわざ彼を見送りに行き、それもかつて彼女がわたしにしていたことだった。もうお互いの予定なんて一つも知らないし、電車が来るのを一人でぼうっと待って帰った。
 
7/24
十時起床。原宿で洋服と下着を買った。GAP前の交差点で大きくて白いボルゾイを見た。帰宅すると高校の友人から電話が掛かってきた。彼女に会いたいと思った。二年前だっただろうか、彼女の家に泊まりに行ったことがあった。夜更かしした次の朝、わたしはベッドで漫画を読んでいる。彼女は台所でミートソースのスパゲティを作っている。その香いがする。ドアが開き彼女がこちらへやって来て、スプーンに掬ったミートソースをわたしの口にそっと流し込む。美味しいよと言う。彼女は嬉しそうに台所へ戻り作業を開始する。懐かしい音楽が掛かっている。
 
7/27
先輩と公園で話をしていたら会話が弾み、終電に乗れなかった。夜行バスで知人の家へ行き、海外ドラマを観ながら寝た。
 
8/8
近所を散歩した。気付いたら隣の区に来ていた。明るい所から人が溢れ出て来たからなにかと思い見ると、駅があるらしかった。老人が植物に水を遣っている。酷いフォームで走る青年。怒った顔をした女。滑り台の上に車。少しずつ夜になっていく。
 
8/11
吉野朔実「少年は荒野を目指す」を読んだ。足の爪が鬱血している。
 
8/12
吉野朔実「恋愛的瞬間」を読んだ。「人は会うべき人にしか会わない だからいつでも自分が行きたい場所に行くんだよ そこに恋人はかならずやってくる」
 
8/17
何が正しいのか分からない。欲しいものは分かる。それが手に入らないことも分かる。その事実がわたしの心を悲しませることも分かる。生命を維持するために生じるすべてに繋がっている現象の先に、いつも悲しみがある。その上で何をすべきか、何かすべきことが残されているのかが分からない。
 
8/23
卵を開くと、中には白い塊を抱いた蜥蜴の子が眠っている。外気に触れた子どもは徐々に腐り、溶け、やがて形を失う。わたしはこの光景に深い憤りを覚えながらも、再び己の空想に現れるのを渇望している。
 
9/7
原宿。ヤン・シュヴァンクマイエルの展示を観た。ポストカードを二枚購入した。
 
9/18
一週間後に後期の授業が始まる。俄かに信じ難い。宿題が何一つ終わっていない。大学生になってまで夏休みの宿題に生を脅かされるとは思っていなかった。
「あなたがたは皆人を慰めようとして、かえって人を煩わす者だ」ヨブ記 第十六章一―二節
 
9/24
帰宅して靴を脱ぐと、足の甲が傷だらけだった。今年の夏はよく出掛けた。もうそろそろサンダルは仕舞おうと思った。レイハラカミによる「終わりの季節」のカバーをよく聴いた。
 
9/26
あんなに待ち遠しかった秋がいざ来てしまうと鬱屈とする。涼しい風が、長い袖が肌に触れる。母親が悲しむ姿を見るのがわたしと兄の人生だった。
 
10/4
初台。大学の先輩に連れられオペラシティで展示を観た。「長円の夜  oval night」という展示だったので、帰りにOvalを聴いた。
 
10/9
起床。誰とも話さない。薬罐に湯を沸かし、紅茶を飲む。
手向くるや むしりたがりし 赤い花(小林一茶
 
10/11
気分が悪い。記録していないことはすべて忘れているような気がする。自分には最初から自分しか居ない。日曜日にsakana のライブに行く。一つの物事に囚われる時間が長いせいで生活に歪みが生じ、あらゆる挙動のタイミングが合わなくなった。人生があまりにも長い。
 
10/18
終日雨が降っていた。気温は十八度しか無く寒かった。ベッドからなかなか出られず、気付いたら授業がすべて終わる時間だった。明日も明後日も授業、週末が来て、月曜日になる。その繰り返し。夜になるまで今日に慣れない。
 
10/15
タナカヒロシのすべて」を観た。「蘇州夜曲」を聴くととそれだけで感動してしまう。「月影のドンチュッチュ」という歌が良かった。
 
10/28
丸ノ内。三菱第一美術館へ行く。帰りに安居酒屋で秋刀魚を食す。ゲーテの「すみれ」という詩が良いと思った。
 
10/29
ドーナツを買い、食べながら山下和美不思議な少年」を読んだ。大学に行き、部室で鍋料理を作って食べた。
 
11/15
独語の授業で、とある人が長い文章を暗誦したのだけど、頭の中にある単語を必死に思い出そうとするせいか、語尾のイントネーションがすべて上がり調子になっていた。一度気になるとなかなか抜け出せず、心臓を引っ掻かれるようで気持ち悪くなってしまった。片足だけ点字ブロックを踏んでしまったら、もう片方の足も踏まないと気持ち悪いのと似ている。すぐにでも大声を出して彼女の発表を打ち切らせ、そのまま胃の内容物をすべて吐き出したのち気絶したかった。午前中の授業だったのだが、このせいで具合が悪くなり昼食を食べられなかった。
 
11/25
高田馬場早稲田松竹で「biutiful」を観た。打ち拉がれてしまい、大学に行けなかった。
 
12/9
一ヶ月振りの病院。頭がおかしいからかかっているのに、規則正しく予定を立ててその通りに通院せよとは酷な話である。帰りにドーナツと珈琲を買い、道端で一服していたところアルバイト先の客が通りかかった。派手な色のジャケットを着ていたからかすぐに気付かれたが、目を伏せて知らん顔してしまった。
 
12/19
先週の月曜日から咳が止まらない。寝ていても咳が出て目が醒める。薬局で風邪薬を買ったが少しも効かない。百日咳ではと母からメール。百日もこんな状態が続くのかと思うといっそ死んだほうがマシである。
 
12/23
新宿。高島屋で蕎麦を食べる。久々に会った友人から、幽霊に取り憑かれているようだと言われた。
 
12/27
阿佐ヶ谷。よるのひるねでカレーを食べた。
 
12/31
友人二名と映画を観、酒を飲んだ。

2010

十八歳、高校三年生の頃。大学受験を控えていたはずだが碌に勉強している気配無し。相変わらずの軽度不眠症

 

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2010/1/4
午前八時起床。二千年から十年経ったという事実が否が応でもわたしを変化せしめると思い込んでいたが、なんとも無い。苦し紛れに外出した。バスに乗り、電車を乗り継ぎ、あとはひたすら歩く。辿り着いた先には消費だけが在った。
 
1/7
延期が延期を呼ぶ。夜にしか隠せない秘密があるなら、暗闇でしか暴かれない秘密もある。
午前六時起床。嫌な夢を見た。穴の空いたニットのカーディガンを羽織り郵便物を取りに行く。空はまだ暗く、外気に触れたところから体の冷えるのを感じる。朝刊の下に年賀状が何枚かあるのを認め、階段を上りながら自分のものを選り分ける。もう何年も会っていない友人の名前を見つけ、目を通す。メールアドレスが載っており、連絡してねという一言が添えられている。
七草粥を食べる。勉強しようかなという気になるがすぐに失せて外出し、喫茶店で読書したり手紙の返事を書いたりする。帰り道、コンビニでおでんを買って帰る。自室で食べ、明日からまた学校かと憂鬱になる。
 
1/8
寝付けずそのまま学校へ向かう。電車の中で気分が悪くなり蹲ると、女性が席を譲ってくれた。品川駅で下車し、ベンチでぼうっとする。涙が止まらない。友人から電話が掛かって来たが無視してしまった。しばらく休んでまた電車に乗り昼頃学校に行った。
 
1/10
正午起床。蕎麦を食べ、愚図愚図してから原宿へ向かう。どうしてこんなに人が多いのだろうと不思議に思いながら信号待ちをしていたら、「世間は三連休なんだね」という会話が聞こえた。知らなかった。臨時改札機が出来ていたり、裏原にまで人がごった返していたりした。買い物を済ませ、JRと地下鉄を乗り継ぎ最寄駅へ。駅前の喫茶店で休む。久し振りにヒールの高い靴を履いたので疲れた。
 
1/20
マシニスト」という映画を観た。面白かった。俳優が役作りで減量あるいは増量するというのはしばしば耳にするが、仕事とは言え立派なことだと思う。今日は暖かく春のようだった。
 
1/22
命日でも無いのに、父方の祖母の葬式を思い出していた。小学生の頃で、梅雨が明けたばかりの夏のはじめの日だった。母に紫色の花を渡され、それを棺桶に横たわる祖母に手向けるよう言われた。穏やかな死に顔だったが、よくある「眠っているような」とはとてもじゃないが形容出来なかった。人間の死体というのはこんなふうなのだなと思った。やけにつるつるしており蝋人形のようで不気味だった。結局、祖母に触れぬよう足元にその花を添えるのが精一杯だった。葬儀屋が、火葬後に残った骨片を箸で摘み、それらが生前どこの部位であったのかを説明するのを聞いた。何を思えばいいのかわからず、気が遠のくのを感じた。
 
1/24
久しぶりにテレビのクイズ番組を観た。コモドオオトカゲは、稀にだが処女懐胎することがあるそうだ。
脅威に立ち向かう方法では無く、脅威を退ける方法ばかり考えている。
 
1/25
熱を出し学校を早退きした。ずっと寝ていたら三歳の頃にかえる夢を見た。海か屋外にあるプールに居て、父親に抱きかかえられている。鮫と鰐に追い詰められ、「逃げよう」とわたしは言うが、父は笑うばかりで、二人で海底に深く潜っていく。景色が回転し、泡が上昇していくのを見上げる。
 
1/29
新聞を読んでいると、隅に見覚えのある白人の白黒写真が載っているのを見つけた。サリンジャーが老衰で亡くなったらしい。悲しかったが、それ以上にほんの少し前まで、作家業を退いた彼がどこかでひっそりと生きていたのだという愛おしさのほうが強かった。九十一歳。どうか安らかに。
 
2/10
夢の中で燃え盛っていた夜の灰色の燃え殻が、朝になっても残っている。生まれてから今日に至るまで、一日も欠かすことなく堆積している。底にある古い塊は、いくら掻き分けてももう見つけ出せない。
 
2/20
広い新宿駅の構内で、人にぶつからぬよう、誰にも見つからぬよう、あるいは大切な誰かと出会えるよう祈りながら、人生に於いて最も重要なものを取りこぼし、打ちひしがれた、野ざらしの敗残者のように薄暗い足跡を残し、頼り無く歩く。歩けば歩くほど自分が小さく、地面が近くなってゆく。階段を上ってホームを歩く。誰かがわたしの名前を呼ぶ。振り返りざま北風が吹いて、米粒ほどの大きさになった身体は真っ暗な空に放り出される。それでも誰かがまだ名前を呼んでくれるので、わたしは寂しくない。
 
3/16
久しぶりの学校だった。TSUTAYAにCDを返却するのを忘れた。大福を食べたら零して食卓が粉だらけになった。郵便局に振込に行ったが、後ろに人の並ぶ気配がし、まごつき、何も出来なかった。美人になりたかったと思った。欲を無くしたいという欲の中で立ち竦んでいる。
 
3/30
春休みに入り、またよく眠れぬ日々が二週間ほど続いた。大抵、明け方になれば二時間程微睡むのだが、まんじりともしない日も幾日かあった。なかなか温まらない布団の中でじっとしているのはつらい。首から下だけが眠り続けているかのようで、布団から出るのに一苦労、立ち上がるのに一苦労、窓辺までの数歩に一苦労、カーテンを開くのに一苦労、という体たらく。数十メートル先にある、川沿いの桜並木を眺める頃には息も絶え絶え、額に汗をかいていた。満月は仄暗く烟る雲に覆われ、月光は色褪せた夜陰に凪いでいた。わたしの肌はひんやりとした外気に晒され、少しずつ乾いていった。目眩がし、すぐに帰宅した。
 
4/5
起床。顔を洗って、ライ麦パンを食べる。薬罐に牛乳を注ぎ、火にかける。温まったそれを飲む。外は雨が降っている。涙が出る。部屋に戻り、机に牛乳の入った茶碗を置く。本棚の前にしゃがみ、内田百閒の本を手に取る。こんな文章が書けたらいいのに。読んでいる途中で寒気を感じ、布団にもぐる。ドアの向こう側で、家の人たちが生活を始めた気配を感じる。まだ少し眠い。
 
4/6
大嫌いな雨の日を無傷で終えても、皮膚と外界との間に一ミリの隙間を隔て、半透明の疲労の膜が全身を隈なく覆うばかりで、喜びなんて一つも無い。感情豊かで素直に笑ったり喜んだりし、幸福を享受することに何らの疑問も持たない、幼い子供のような人を妬んでいるだけなのかも知れない。すぐそこにある、名前は知らないけれどわたしにとって前向きなものを、受け取ることが出来るのに受け取らない。頑なに拒否している。こういうことが多い。何故か必死に自分を傷つけようとする。つまらない。
 
4/9
明日は始業式。数少ない友人たちは部活動で忙しいので、この春休みは結局誰とも会わなかった。外出も二回くらいしかしていない。それなのに宿題がまだ終わっていない。
椰子だと思っていた木が棕櫚であることを知った。失われつつある現在に対する哀惜。
 
6/20
二十一時就寝、九時起床。過眠のせいか体調優れず。ぼんやりしてから、十五時新宿へ。買い物を済ませ、代官山へ移動。ライブハウスに到着。帰宅。足が痛い。体重が減った。
 
6/25
風呂に入る。狭い空間、湯気、石鹸、人が居ない。二センチほど開いた磨り硝子越しに野良猫の鳴き声が聞こえる。郵便局に行く用事があったのを思い出す。誰かに自分の話を聞いて欲しい。
 
7/5
友人の誕生日や血液型より、好きな本や映画を知りたいと思う。
図書館に行ったが休館日だった。仕方無くとんぼ返りすると間も無くスコールのような雨が降ってきた。頭の中で浅川マキが「そうさ今夜は世界中が雨だろう」と歌っている。
 
7/10
音楽のライブのため六本木へ。数年ぶりにママンを見た。過日、ルイーズ・ブルジョアが亡くなったことを知ったので感じ入ってしまった。六本木はパーティードレスを着た大人たちが騒いでいて嫌な街だと思ったが、ライブ自体は楽しかったので行ってよかった。
 
7/13
他人に迷惑を掛けたくないと思っているのは本心だが、わたしの子供のような振る舞いを、しんから子供と思って笑って抱き締めてくれるような人が、たった一人でも在ってくれたらと浅ましいことを願ってしまう。言ってはいけない言葉ばかりが頭に浮かび、無言の時間が永遠に続く。どんなに悲しくても死なないということは、それは脈動より重要なものでは無いということなのだろうか。最近またキュアーばかり聴いている。
 
7/23
Sunn O)))という人たちを知り良いと思った。夏休みに入れば、多少は読書する時間的・心理的余裕が生まれるだろうと思っていたが、物事はそううまく運ばない。気がつけば日が暮れている。休息は即ち睡眠である。茹だる暑さに頭をやられ、他人との意思疎通もうまくいかない。我が身に起こる出来事にしか感興を催さない。手を伸ばした先に、何か触れるものがあればいいのに。
どうやら夏風邪を引いたらしい。嚔が止まらない。頭痛と胃痛がひどい。早く治って欲しい。
 
7/25
日々の移ろいが加速しているように感じられる。その補正・調整・諸々の処理を行うのに、涙を流さないといけないのが面倒だ。大抵は帰り道やベッドの中など一人で居る時に泣くのだが、今日は友人と電話をしている時に泣いてしまった。電話越しに届く友人の声色は明らかに困惑していて、早く泣き止まなければと焦る程涙が止まらず、謝罪の言葉を述べ、通話を絶った。苦々しい自己嫌悪を嘗める。
 
7/26
学校が休みだった。空は薄暗く、兄によると小雨も降っていたらしい。外出しないで正解だった。傘が壊れてしまっているから買わないといけない。
昼に蕎麦を食べたが、途中で気持ち悪くなり残してしまった。近頃食欲の無いわたしを見かねてか、母親がアイスを買い与えてくれた。しかしそれすらも完食出来なかった。
 
7/28
夏休みだが夏期講習があり毎日学校に通っている。昨年まで夏休みは三日くらいしか外出していなかったので、炎天下を歩くという行為がこんなにも疲労を伴うことだとは毫も知らなかった。歩いているだけで体力が奪われる。この一週間は英語と現代文と古文の講習だったが明日からは漢文のみになるのでだいぶん楽である。
帰り道、新宿駅で下車し紀伊國屋へ向かい、問題集を買った。自分以外にも十人余りの高校生たちが気難しい表情を浮かべて参考書や問題集を読み比べていた。漫画の階に行きたかったが我慢して帰った。
 
8/1
 八月になった。日曜日なので学校は休みだったが、かわりに模擬試験があった。会場まで一緒に行く約束をした友人が時間に厳しい子で、わたしは生来の遅刻魔なので常に走って移動したら汗だくになった。お陰で時間通り到着出来たが。
試験を終え、喫茶店に行った。洋梨のケーキと紅茶を頼んだ。ケーキは美味しかったが、結局途中で気持ち悪くなり残してしまった。その後新宿ルミネに入っている本屋へ行った。丸尾末広の漫画を買おうと思ったが、財布に千円しか入っていなかったので買えなかった。
 
8/4
夏期講習の後、友人二人と冷やし中華を食べに行った。柚子胡椒が効いており美味しかった。友人の内一人は二年間同じクラスだったが今年別々のクラスになってしまい、悲しかったので、久しぶりにたくさん話が出来て嬉しかった。夏期講習の第二期が終了したが、結局まともに起きていた授業が無かった。
 
8/7
いつもより少し早く学校に到着した。正午過ぎ、友人と落ち合い、うどんを食べた。あまり会話はせず、黙々とうどんを啜った。食べ終えてからまた学校に戻った。
帰宅し、母がテレビで坂東玉三郎の特集を観ていたので、一緒に観た。
 
9/19
自宅の近くで蚤の市をやっていたので行った。インドの香水を売っている人が居り、ジャスミンの香りが好きなので買った。昔母親から、今の名前でなかったら「茉莉花」という名前だったと言われたことがある。今の名前はまったく気に入っていないが、茉莉花よりは似合うような気もする。森茉莉と一文字違いなのは良いなと思うけど。その後池袋へ行き、腕時計と、泉鏡花の「高野聖」を買った。鏡花の本は古本屋で買ったのだが、やや潔癖なのか分からないがあまり古本は好きではないなと改めて思った。たとえば立ち読みした中で、登場人物の特徴に逐一傍線の引いてあった幸田文の「みそっかす」、旧字体を線で引っ張って新字体の註釈が加えられた内村鑑三の「余は如何にして基督信徒になりし乎」、段落ごとに印の付されたキルケゴール死に至る病」など、面白がる気持ちより不潔に感じるほうが勝った。残念なことだと思う。途中、サンシャインの辺りで神輿に遭遇した。
 
12/9
卒業試験一日目。手応え以前に眠たくて駄目だった。問題を解いている途中に寝てしまう。終わってから友人と勉強し、寒さに震えつつ電車に乗った。夜だった。自宅から駅まで自転車を利用しているのだが、自転車置き場の定期券の期限が昨日までで更新しなくてはいけないのに、面倒でそのまま帰宅した。途中、白い猫がわたしの前を横切った。信仰なんて無くても、街灯だらけの夜道は明るく、猫の存在にさえ気付くことが出来る。
 
12/15
恵比寿。喫茶店へ行った。明日卒業試験の答案返却。進路調査書をまだ書いていないし、願書もまだ出していない。受験にまつわる何もかもが例外無く面倒だ。これ以上学校に行って何になるんだろう。
 
12/28
Amazonで買った楠本まきの「青の解放」と blueno(熊崎ふさ子)の同名のCDが届いた。年末年始で図書館が休館のため家で勉強しているが全く集中出来ない。こういうとき予備校に通っている人が羨ましい。さすがに喫茶店に半日こもることは出来ないだろう。