2010

十八歳、高校三年生の頃。大学受験を控えていたはずだが碌に勉強している気配無し。相変わらずの軽度不眠症

 

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2010/1/4
午前八時起床。二千年から十年経ったという事実が否が応でもわたしを変化せしめると思い込んでいたが、なんとも無い。苦し紛れに外出した。バスに乗り、電車を乗り継ぎ、あとはひたすら歩く。辿り着いた先には消費だけが在った。
 
1/7
延期が延期を呼ぶ。夜にしか隠せない秘密があるなら、暗闇でしか暴かれない秘密もある。
午前六時起床。嫌な夢を見た。穴の空いたニットのカーディガンを羽織り郵便物を取りに行く。空はまだ暗く、外気に触れたところから体の冷えるのを感じる。朝刊の下に年賀状が何枚かあるのを認め、階段を上りながら自分のものを選り分ける。もう何年も会っていない友人の名前を見つけ、目を通す。メールアドレスが載っており、連絡してねという一言が添えられている。
七草粥を食べる。勉強しようかなという気になるがすぐに失せて外出し、喫茶店で読書したり手紙の返事を書いたりする。帰り道、コンビニでおでんを買って帰る。自室で食べ、明日からまた学校かと憂鬱になる。
 
1/8
寝付けずそのまま学校へ向かう。電車の中で気分が悪くなり蹲ると、女性が席を譲ってくれた。品川駅で下車し、ベンチでぼうっとする。涙が止まらない。友人から電話が掛かって来たが無視してしまった。しばらく休んでまた電車に乗り昼頃学校に行った。
 
1/10
正午起床。蕎麦を食べ、愚図愚図してから原宿へ向かう。どうしてこんなに人が多いのだろうと不思議に思いながら信号待ちをしていたら、「世間は三連休なんだね」という会話が聞こえた。知らなかった。臨時改札機が出来ていたり、裏原にまで人がごった返していたりした。買い物を済ませ、JRと地下鉄を乗り継ぎ最寄駅へ。駅前の喫茶店で休む。久し振りにヒールの高い靴を履いたので疲れた。
 
1/20
マシニスト」という映画を観た。面白かった。俳優が役作りで減量あるいは増量するというのはしばしば耳にするが、仕事とは言え立派なことだと思う。今日は暖かく春のようだった。
 
1/22
命日でも無いのに、父方の祖母の葬式を思い出していた。小学生の頃で、梅雨が明けたばかりの夏のはじめの日だった。母に紫色の花を渡され、それを棺桶に横たわる祖母に手向けるよう言われた。穏やかな死に顔だったが、よくある「眠っているような」とはとてもじゃないが形容出来なかった。人間の死体というのはこんなふうなのだなと思った。やけにつるつるしており蝋人形のようで不気味だった。結局、祖母に触れぬよう足元にその花を添えるのが精一杯だった。葬儀屋が、火葬後に残った骨片を箸で摘み、それらが生前どこの部位であったのかを説明するのを聞いた。何を思えばいいのかわからず、気が遠のくのを感じた。
 
1/24
久しぶりにテレビのクイズ番組を観た。コモドオオトカゲは、稀にだが処女懐胎することがあるそうだ。
脅威に立ち向かう方法では無く、脅威を退ける方法ばかり考えている。
 
1/25
熱を出し学校を早退きした。ずっと寝ていたら三歳の頃にかえる夢を見た。海か屋外にあるプールに居て、父親に抱きかかえられている。鮫と鰐に追い詰められ、「逃げよう」とわたしは言うが、父は笑うばかりで、二人で海底に深く潜っていく。景色が回転し、泡が上昇していくのを見上げる。
 
1/29
新聞を読んでいると、隅に見覚えのある白人の白黒写真が載っているのを見つけた。サリンジャーが老衰で亡くなったらしい。悲しかったが、それ以上にほんの少し前まで、作家業を退いた彼がどこかでひっそりと生きていたのだという愛おしさのほうが強かった。九十一歳。どうか安らかに。
 
2/10
夢の中で燃え盛っていた夜の灰色の燃え殻が、朝になっても残っている。生まれてから今日に至るまで、一日も欠かすことなく堆積している。底にある古い塊は、いくら掻き分けてももう見つけ出せない。
 
2/20
広い新宿駅の構内で、人にぶつからぬよう、誰にも見つからぬよう、あるいは大切な誰かと出会えるよう祈りながら、人生に於いて最も重要なものを取りこぼし、打ちひしがれた、野ざらしの敗残者のように薄暗い足跡を残し、頼り無く歩く。歩けば歩くほど自分が小さく、地面が近くなってゆく。階段を上ってホームを歩く。誰かがわたしの名前を呼ぶ。振り返りざま北風が吹いて、米粒ほどの大きさになった身体は真っ暗な空に放り出される。それでも誰かがまだ名前を呼んでくれるので、わたしは寂しくない。
 
3/16
久しぶりの学校だった。TSUTAYAにCDを返却するのを忘れた。大福を食べたら零して食卓が粉だらけになった。郵便局に振込に行ったが、後ろに人の並ぶ気配がし、まごつき、何も出来なかった。美人になりたかったと思った。欲を無くしたいという欲の中で立ち竦んでいる。
 
3/30
春休みに入り、またよく眠れぬ日々が二週間ほど続いた。大抵、明け方になれば二時間程微睡むのだが、まんじりともしない日も幾日かあった。なかなか温まらない布団の中でじっとしているのはつらい。首から下だけが眠り続けているかのようで、布団から出るのに一苦労、立ち上がるのに一苦労、窓辺までの数歩に一苦労、カーテンを開くのに一苦労、という体たらく。数十メートル先にある、川沿いの桜並木を眺める頃には息も絶え絶え、額に汗をかいていた。満月は仄暗く烟る雲に覆われ、月光は色褪せた夜陰に凪いでいた。わたしの肌はひんやりとした外気に晒され、少しずつ乾いていった。目眩がし、すぐに帰宅した。
 
4/5
起床。顔を洗って、ライ麦パンを食べる。薬罐に牛乳を注ぎ、火にかける。温まったそれを飲む。外は雨が降っている。涙が出る。部屋に戻り、机に牛乳の入った茶碗を置く。本棚の前にしゃがみ、内田百閒の本を手に取る。こんな文章が書けたらいいのに。読んでいる途中で寒気を感じ、布団にもぐる。ドアの向こう側で、家の人たちが生活を始めた気配を感じる。まだ少し眠い。
 
4/6
大嫌いな雨の日を無傷で終えても、皮膚と外界との間に一ミリの隙間を隔て、半透明の疲労の膜が全身を隈なく覆うばかりで、喜びなんて一つも無い。感情豊かで素直に笑ったり喜んだりし、幸福を享受することに何らの疑問も持たない、幼い子供のような人を妬んでいるだけなのかも知れない。すぐそこにある、名前は知らないけれどわたしにとって前向きなものを、受け取ることが出来るのに受け取らない。頑なに拒否している。こういうことが多い。何故か必死に自分を傷つけようとする。つまらない。
 
4/9
明日は始業式。数少ない友人たちは部活動で忙しいので、この春休みは結局誰とも会わなかった。外出も二回くらいしかしていない。それなのに宿題がまだ終わっていない。
椰子だと思っていた木が棕櫚であることを知った。失われつつある現在に対する哀惜。
 
6/20
二十一時就寝、九時起床。過眠のせいか体調優れず。ぼんやりしてから、十五時新宿へ。買い物を済ませ、代官山へ移動。ライブハウスに到着。帰宅。足が痛い。体重が減った。
 
6/25
風呂に入る。狭い空間、湯気、石鹸、人が居ない。二センチほど開いた磨り硝子越しに野良猫の鳴き声が聞こえる。郵便局に行く用事があったのを思い出す。誰かに自分の話を聞いて欲しい。
 
7/5
友人の誕生日や血液型より、好きな本や映画を知りたいと思う。
図書館に行ったが休館日だった。仕方無くとんぼ返りすると間も無くスコールのような雨が降ってきた。頭の中で浅川マキが「そうさ今夜は世界中が雨だろう」と歌っている。
 
7/10
音楽のライブのため六本木へ。数年ぶりにママンを見た。過日、ルイーズ・ブルジョアが亡くなったことを知ったので感じ入ってしまった。六本木はパーティードレスを着た大人たちが騒いでいて嫌な街だと思ったが、ライブ自体は楽しかったので行ってよかった。
 
7/13
他人に迷惑を掛けたくないと思っているのは本心だが、わたしの子供のような振る舞いを、しんから子供と思って笑って抱き締めてくれるような人が、たった一人でも在ってくれたらと浅ましいことを願ってしまう。言ってはいけない言葉ばかりが頭に浮かび、無言の時間が永遠に続く。どんなに悲しくても死なないということは、それは脈動より重要なものでは無いということなのだろうか。最近またキュアーばかり聴いている。
 
7/23
Sunn O)))という人たちを知り良いと思った。夏休みに入れば、多少は読書する時間的・心理的余裕が生まれるだろうと思っていたが、物事はそううまく運ばない。気がつけば日が暮れている。休息は即ち睡眠である。茹だる暑さに頭をやられ、他人との意思疎通もうまくいかない。我が身に起こる出来事にしか感興を催さない。手を伸ばした先に、何か触れるものがあればいいのに。
どうやら夏風邪を引いたらしい。嚔が止まらない。頭痛と胃痛がひどい。早く治って欲しい。
 
7/25
日々の移ろいが加速しているように感じられる。その補正・調整・諸々の処理を行うのに、涙を流さないといけないのが面倒だ。大抵は帰り道やベッドの中など一人で居る時に泣くのだが、今日は友人と電話をしている時に泣いてしまった。電話越しに届く友人の声色は明らかに困惑していて、早く泣き止まなければと焦る程涙が止まらず、謝罪の言葉を述べ、通話を絶った。苦々しい自己嫌悪を嘗める。
 
7/26
学校が休みだった。空は薄暗く、兄によると小雨も降っていたらしい。外出しないで正解だった。傘が壊れてしまっているから買わないといけない。
昼に蕎麦を食べたが、途中で気持ち悪くなり残してしまった。近頃食欲の無いわたしを見かねてか、母親がアイスを買い与えてくれた。しかしそれすらも完食出来なかった。
 
7/28
夏休みだが夏期講習があり毎日学校に通っている。昨年まで夏休みは三日くらいしか外出していなかったので、炎天下を歩くという行為がこんなにも疲労を伴うことだとは毫も知らなかった。歩いているだけで体力が奪われる。この一週間は英語と現代文と古文の講習だったが明日からは漢文のみになるのでだいぶん楽である。
帰り道、新宿駅で下車し紀伊國屋へ向かい、問題集を買った。自分以外にも十人余りの高校生たちが気難しい表情を浮かべて参考書や問題集を読み比べていた。漫画の階に行きたかったが我慢して帰った。
 
8/1
 八月になった。日曜日なので学校は休みだったが、かわりに模擬試験があった。会場まで一緒に行く約束をした友人が時間に厳しい子で、わたしは生来の遅刻魔なので常に走って移動したら汗だくになった。お陰で時間通り到着出来たが。
試験を終え、喫茶店に行った。洋梨のケーキと紅茶を頼んだ。ケーキは美味しかったが、結局途中で気持ち悪くなり残してしまった。その後新宿ルミネに入っている本屋へ行った。丸尾末広の漫画を買おうと思ったが、財布に千円しか入っていなかったので買えなかった。
 
8/4
夏期講習の後、友人二人と冷やし中華を食べに行った。柚子胡椒が効いており美味しかった。友人の内一人は二年間同じクラスだったが今年別々のクラスになってしまい、悲しかったので、久しぶりにたくさん話が出来て嬉しかった。夏期講習の第二期が終了したが、結局まともに起きていた授業が無かった。
 
8/7
いつもより少し早く学校に到着した。正午過ぎ、友人と落ち合い、うどんを食べた。あまり会話はせず、黙々とうどんを啜った。食べ終えてからまた学校に戻った。
帰宅し、母がテレビで坂東玉三郎の特集を観ていたので、一緒に観た。
 
9/19
自宅の近くで蚤の市をやっていたので行った。インドの香水を売っている人が居り、ジャスミンの香りが好きなので買った。昔母親から、今の名前でなかったら「茉莉花」という名前だったと言われたことがある。今の名前はまったく気に入っていないが、茉莉花よりは似合うような気もする。森茉莉と一文字違いなのは良いなと思うけど。その後池袋へ行き、腕時計と、泉鏡花の「高野聖」を買った。鏡花の本は古本屋で買ったのだが、やや潔癖なのか分からないがあまり古本は好きではないなと改めて思った。たとえば立ち読みした中で、登場人物の特徴に逐一傍線の引いてあった幸田文の「みそっかす」、旧字体を線で引っ張って新字体の註釈が加えられた内村鑑三の「余は如何にして基督信徒になりし乎」、段落ごとに印の付されたキルケゴール死に至る病」など、面白がる気持ちより不潔に感じるほうが勝った。残念なことだと思う。途中、サンシャインの辺りで神輿に遭遇した。
 
12/9
卒業試験一日目。手応え以前に眠たくて駄目だった。問題を解いている途中に寝てしまう。終わってから友人と勉強し、寒さに震えつつ電車に乗った。夜だった。自宅から駅まで自転車を利用しているのだが、自転車置き場の定期券の期限が昨日までで更新しなくてはいけないのに、面倒でそのまま帰宅した。途中、白い猫がわたしの前を横切った。信仰なんて無くても、街灯だらけの夜道は明るく、猫の存在にさえ気付くことが出来る。
 
12/15
恵比寿。喫茶店へ行った。明日卒業試験の答案返却。進路調査書をまだ書いていないし、願書もまだ出していない。受験にまつわる何もかもが例外無く面倒だ。これ以上学校に行って何になるんだろう。
 
12/28
Amazonで買った楠本まきの「青の解放」と blueno(熊崎ふさ子)の同名のCDが届いた。年末年始で図書館が休館のため家で勉強しているが全く集中出来ない。こういうとき予備校に通っている人が羨ましい。さすがに喫茶店に半日こもることは出来ないだろう。