2013

2013/1/10
外国人に道を聞かれ、説明したら突然頬を触られた。頬を触るようジェスチャーで促され、何となく断りきれずに一瞬だけ触り返した。老婆が鳩を手懐けていた。
 
1/25
渋谷。オーディトリウムでゴダール特集を観た。まだしばらくやるようで、割引になるチケットを買った。ジュンク堂で本を買い、ラーメンを食べ帰宅した。
 
2/3
六本木。シネマートで「美代子阿佐ヶ谷気分」を観た。あんなところに映画館があるのを知らなかった。豚カツ定食を食べ、帰宅した。
 
2/12
神保町から散歩していたらニコライ堂に着いたので中に入った。小さな蝋燭が素朴な光を灯し、美しかった。ストーブにあたっていたら敬虔な気持ちになった。清貧。
 
2/15
原宿。MoMAの店で買い物をしたところ、ニューヨークのMoMAの割引チケットを貰った。ニューヨークに行く用事は無い。
 
3/1
東京大学。友人に誘われ、ジュノ・ディアスと綿矢りさニコール・クラウス川上未映子の対談を傍聴した。司会として最前列に柴田元幸が居たのが一番興奮した。ジュノ・ディアスが母親が怖いという話を何度もしており面白かった。
 
4/15
家の近くの図書館に行ったが休館日だった。大学には行ったが授業に一つも出なかった。大学の図書館で友人を見掛けたが声をかけなかった。買ったチョコレートを食べなかった。「ボヴァリー夫人」の第一部をようやく読み終えた。蝋燭を「ろーそく」、天鵞絨を「びろーど」と平仮名で表記しているのがなんだか間抜けだと思った。読んでいたらゴダール「はなればなれに」の「生きるべきか死ぬべきか 君の胸の谷間で それが問題だ」という手紙の文章を思い出した。
 
4/19
ゼミの教授主催で、目白庭園の赤鳥庵に於いて演奏会と茶会があった。演奏者は教授の友人のイタリア人で、シュトックハウゼンの「星座のための12のメロディー(オルガンによる)」とケージの「4分33秒」を演奏していた。夕方から夜にかけての会だったため途中から空腹を感じ、四分三十三秒間わたしのお腹が鳴り続け、隣に座っていた友人が笑ってしまい恥ずかしかった。
 
4/30
昼間、大学の図書館で移動しようと階段の前まで行くも、下向きの階段と上向きの階段のどちらに行けば下に行けるのかが分からなくなってしまい、しばらく動けなかった。偶然通りかかった友人に訊き、事無きを得た。
 
5/14
通っていた高校は、海外にいくつか姉妹校があったりと国際交流に力を入れていた。留学生の受け入れも熱心にやっており、わたしのクラスにも半年ほどロシアからの留学生が居た。その人が先程テレビに出演し、たんぽぽを食べていたと友人からメールが来た。
 
5/29
レポートを書くため毎日大学の図書館にこもっている。いくら図書館が好きとは言えさすがにうんざりしてくる。マルクスもこうして「資本論」を書き上げたのだと言い聞かせ鼓舞している。
 
6/17
池袋。「華麗なるギャツビー」を観た。バズ・ラーマン監督の最新のもの。原作が好きで、主演のディカプリオも好きなので期待していたが肩透かしを食らった。近年稀に見る駄作。
 
6/27
十七時から酒を飲んでいた。東京は入梅して間も無く、湿気が不慣れな手つきで渋谷の街を撫でていた。金が無かった。よく分からず入った料理屋の白ワインはばかみたいに安かった。しなびたほうれん草が胃の中でごみ屑同然の悪臭を放つ。冷房が当たり体温が奪われても、アルコールで感覚が麻痺して何も感じない。煙草の灰がテーブルに落ちる。右手の席に座っている四十がらみの男が、祈るように合わせた手の上に顎を乗せ、入り口のほうをじっと見ている。わたしは特筆すべきことが無い日々とこの店の中で、必死に寄りかかれる悲しみをひねり出そうとしていた。
 
7/17
近頃左の脹脛が痛むので病院に行った。待合室でパウル・ツェランの詩集を読んだ。病院に行くのは、生活を一旦引き戻されるというか、思考を肉体に結び付けられる感がありどうにも苦手だ。一度目を向けると次から次へと悪いところが見つかる。
部屋の掃除をしていたらアルバムを見つけた。五、六歳の頃だろうか、ピアノの発表会の写真があった。発表会の時、わたしは必ず意図的に演奏を間違えるようにしていた。後の人の緊張がほぐれると思ったからだ。昔から人に優しさを与えることが出来ず、自分を損ねることでしか他人を思い遣れない。
 
7/18
アルバイト先の人から村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を借りて読んだ。村上春樹の本は「ノルウェイの森」しか読んだことが無い。小説を書くのが上手だと思うが好きだと思わない。どうでもいい作家の一人。
先日友人から借りた雑誌にVISSARIONというロシアの新興宗教の特集が掲載されていた。髭を生やし、別珍の寛衣を纏った教主がいかにも聖者らしかった。アントロポモルフィズムスを剥離させるための単純化
 
7/27
明後日ゼミのレポートの提出期限。出来れば今日中に終わらせたい。何故なら明日友人たちと鰻を食べに行くからだ。一昨日学部長からメールが来ていて、春休みに提出したレポートを学部誌に掲載したいとの旨が書かれていた。嬉しかった。論理的思考力が無いのでレポートを書くのは苦手だが、今回もなんとか良いものを書こうと思える。ただ、夏休みの間に加筆修正を加えなくてはならないのが面倒だが。
 
7/28
現実の出来事を一つの契機として、空想が花のようにぽつぽつと咲く。どこからが空想でどこまでが現実なのかもう分からない。土砂降りの雨が降っても洗濯物を取り込まないが、新聞の集金に来た老人には出来るだけ愛想よく挨拶をする。孤独の新しい在り方の前でいつまでも立ち往生している。日々は幻よりもぼんやりとしている。
 
8/3
平凡な毎日。下品な言葉を遣う酔っ払い。彼が向けてくるカメラのレンズに向かって微笑みたくない。小さな金の環の中で、人々は仰向けに浮かんでいる。喜びの形態は誰かの手によって固定されており、美しさ以外に何ものも価値を持たなくなっている。「もっと詩を」と叫んだ後には何も残らなかった。
 
8/4
わたしが世界から脱落している間、彼らは三十人の天使と代わる代わるセックスしている。真実はわれわれを傷つけさえしない。蟹が吐いた泡が全身を包む。天にも昇る心地とやらを強引に押し付けながら。
悪疫に侵されている。自分から見放されないために必死だ。一万年後の約束を交わしても毎日不安で仕方ない。今見える光景があまりに楽園的であるため、人間はすぐに「そうあること」をやめてしまう。
 
8/11
午前四時、寒くて目が覚めた。スマートフォンの画面には三十一度と表示されている。冷房もつけていない。しかし震えが止まらない。指先が冷たく痺れている。なんとか身体を起こし上着を羽織り、布団を引き摺り出して頭まで被る。ようやく震えが収まるも、間も無く吐き気に襲われる。ということが今朝あった。先程原因を調べたところ、蛋白質の欠乏や、月経前の高体温期にしばしばあるなどと書いてあった。どちらも当てはまる。
 
8/15

「春にして君を想う」というアイスランドの映画を観た。ずっと観たかったのだが、近所のTSUTAYAは恐らく誰かが借りてそのまま返していないようで、渋谷のTSUTAYAで借りた。映画の最後に、ブルーノ・ガンツが天使の姿で出て来た。
 
8/16
 「ブラックスワン」という映画を観た。自分と母との関係を想起させ、落ち込んだが、面白い映画だった。わたしたちの関係はマゾヒスティック・コントロールそのものだ。人間として生きていくためにはこのことについてきちんと考えないといけないと分かっているのに、どうしても目を逸らしてしまう。
 
8/17
友人と映画を観に行く予定だったが、体調が悪いとのことで不意になった。テレビをつけると新宿東口の見慣れた景色が青空をバックに映され、画面下に最高気温三十四度とテロップが出ている。外出しなくて正解だ。セリーヌ「夜の果てへの旅」を読む。
 
8/28
高田馬場早稲田松竹ジョン・カサヴェテスの映画を観た。「ラヴ・ストリームス」「こわれゆく女」。すごい映画を観た。
 
8/29
昨日で二十一歳になった。十九歳は思い出すだに最悪だった。いや、思い出すことも無いくらい最悪の日々だった。出来事は意味を持たない。感情は宇宙の形質を採る。目的は空虚さという点に於いてのみ共鳴し合う。時制は軸を失う。昨日が明日を追い越す。あらゆる静かな混乱。二十歳はもう少しマシだと良い。……という具合の二十歳だった。これまで生きた時間をあっという間だと感じたことが無い。天国的に冗長である。恐ろしく退屈。最悪であることが日々上手くなっていく。もうじき皆わたしのことを忘れる。
 
9/1
日に日に感じることが無くなる。われわれはそれでもここからそこへ移動する。数時間毎に。そして異なる「あなた」に同じ話を繰り返す。いくつか前の今を過去と呼んで思い出す。あまりに繰り返されたがために何の感興も催さなくなるまで。
生活と悲しみは並行して存在する。両者は等しく照らされ、やがて翳る。しかし手を伸ばし合いはしない。出来事は意味も無く延々と続く。悲しみの結論は出来事によって齎されるのでは無い。それは無遠慮な「考え直す」という作業によってのみ為される。少なくとも生活は途切れない流れである。
 
9/9
栃木県の民宿に泊まった。友人たちが焼き茄子と手打ちうどんを作ってくれた。食後に供されたサングリアも手製とのことだった。料理がまったく出来ないので、皿洗いを一生懸命やった。
帰宅してすぐ寝てしまい、六時に目が覚めた。YouTubeでレコメンドされたピアノ音楽を聴いた。こんな風に夜明けを迎えると、自分の手には何も無いという事実が至上の幸福に感じられる。空は灰色で、残月の予感が透き通って心地よい終わりが見えてくる。風が吹かなくとも、両手は必ずわれわれを支えてくれる。
 
9/22
酷い気分だ。夜はまだいいが、昼間が酷い。倦怠感と頭痛。薬の量がどんどん増えていく。誰にでも当て嵌まる過程。晴れたニューヨークの空に巨大な煙の塊が浮かんでいる。わたしは彼女の次の次に不幸だ。今この瞬間も「誰が最も不幸か」を決めるための催しが世界中のいたるところで行われている。そこにわたしが選ばれることは無い。わたしだけは絶対。
 
9/28
これまで犯した窃盗の対価をこんなふうに、愛の剥奪によって払わされている。免疫力の低下。毎朝不安で目が覚める。病院の帰りに赤地に青い花柄のワンピースを買った。ほとんど終わりかけの時間。
 
10/19
レポートを書くのに久し振りにゴダールの「彼女について私が知っている二、三の事柄」を観た。「LSDが無ければカラーテレビをどうぞ」という台詞が好き。カラーテレビがインターネットになっただけで何も変わっていない。
 
10/24
 近頃カミングスの詩をよく読む。
 
we are for each other: then
laugh, learning back in my arms
for life’ s not a paragraph
 
and death I think is not parenthesis
 
というところが良いと思った。
 
10/25
 六本木。東京国際映画祭に初めて行った。「ウィー・アー・ザ・ベスト!」というスウェーデンの映画を観た。サクラグランプリ受賞作品らしいが、映画は好きだけどあまねく賞というものに関心が無くどれくらいの位置付けなのかもよく分からない。エンドロールが終わり場内が明るくなってから、観客皆で拍手をした。上映終了直後のあの感じがどうにも得意で無いので、良かった。
 
12/30
アルバイト先の忘年会だったが、退屈だったので途中で抜け出し一人で酒を飲んだ。「ロリータ」を読み先程帰宅した。