2014

2014/1/26
年始からつい二週間程前までオーディトリウムでカサヴェテス特集が組まれ、全作品を観た。すばらしい体験だった。大学の図書館で彼に関する本を借りたので今から読む。
 
4/16
本当に偶然、図書館で手に取ったデリダの「火ここになき灰」があまりに面白く、本屋で買った。就職活動を全くしていない。
 
4/22
日本酒を飲みながら、メイヤー・ホーソーンによる「幽霊の気分で」のカバーを聴いた。最近また両手が巨大化する感覚に毎夜苛まれている。どこもかしこも永遠から振り落とされているのを知覚せざるを得ない。
 
4/27
暖かくなってきたらしいが部屋に篭りきりなので分からない。最近はボフミル・フラバルの「あまりにも騒がしい孤独」「厳重に監視された列車」、スピノザの「エチカ」を読んだ。ファズビンダー特集がどこぞでやるらしいので、それまでに体調が回復していることを祈るばかり。
 
4/30
ツルゲーネフ「はつこい」を読んだ。わたしたちは夢で通った薄暗い螺旋階段をどこまでも下っていく。勢い良く吹き上げる風に、青色のスカートが捲れる。それに気付かないで、燥ぎながらどこまでもどこまでも下っていく。
 
5/2
渋谷。友人と「アデル、ブルーは熱い色」を観た。劇中、頻繁にボロネーゼを食べる場面があり、終わってからどちらからともなくボロネーゼを食べに行った。生牡蠣を食べる場面もあり、二軒目にオイスターバーへ行った。短絡的である。
 
6/16
新宿。前評判が良かったので「グランド・ブダペスト・ホテル」を観た。ウェス・アンダーソン作品はこれが初めてだと思う。コメディ映画なのに一つも面白くなくて絶望的だった。とは言えわたし以外の観客は笑っていたので面白い映画なのかも知れない。予告編でホドロフスキーの「リアリティのダンス」が流れ、こっちを早く観たいなと思った。
 
6/30
あらゆる人間が泣きながら縋ってくる。たくさんの言葉を聞かされる。一方でわたしは世界に向けて、返事の無い手紙を書き続けている。雨が大きな音を立てて降る。それがすべてからこの部屋を隔絶する。湿った呻きが上がる。壁が決壊し、外から大量の雨水と土砂が流れ込んで来る。呻きが濁流に飲まれていく。人称を欠いた時間が蠕動する。舞い込む過去を拒めずに、疲労の底へ溶けて消える。
 
7/3
渋谷。イメージフォーラムジャック・タチ「左側に気をつけろ」「ぼくの伯父さんの授業」「ぼくの伯父さんの休暇」を観た。ゴダールの「右側に気をつけろ」の内容を全く覚えていないのが悔やまれた。
さはいへど そのひと時よまばゆかりき 夏の野しめし 白百合の花(与謝野晶子
 
7/8
北鎌倉。ゼミの人たちと「鉢の木」という店で精進料理を食べた。その後明月院で紫陽花を観た。帰りしな餡蜜を食べた。
 
7/22
気管支炎になった。去年の梅雨辺りから、数ヶ月ごとにいろいろな病気にかかっている。これの前は春に胃炎になった。クーラーのリモコンを紛失してしまい参っている。外で油蝉の鳴くのが聞こえる。
 
8/1
新宿。伊勢丹で化粧品を購入し、ホドロフスキー「リアリティのダンス」を観た。とても面白かった。帰りに山本精一の「ファルセット」というCDを買った。iPodの再生回数を見たらセルジュ・ゲンスブールの「Leau a la bouche」を半年で四百回再生していた。
 
9/15
けものがれ、俺らの猿と」の映画を観た。小説で描かれていた過剰な現実をうまく映画にしていると思った。果たして小説を読んでいない、というか町田康に興味の無い人がこれを観て面白いと思うかと言えば面白くは無いと思うが。「婆の駒」は映画でも笑えた。
 
9/25
まったく単位が取れておらず、後期も週四日授業に出ないといけない。四年生になったら大学に通わなくてよいと聞いていたから安楽な気持ちで大学生活を営んできたというのに、何故このような目に遭わなくてはならないのか理解しかねる。仕方ないからこれを機に早寝早起き出来るようになろうと思い立ち、水曜と木曜は一限から授業を入れた。昨日は水曜日だったが寝坊のため行けず、今日は十五分ほど遅刻したがまあなんとか間に合いそうだということが分かった。その後の授業は出ずに帰宅した。
 
10/25
ミヒャエル・ハネケ「ピアニスト」を観た。母娘の共依存、すべてのアダルトチルドレンに愛を。
 
10/27
ジム・ジャームッシュダウン・バイ・ロー」を観た。エンドロールで流れたトム・ウェイツの「tango till they’re sore」が格好良かった。
 
11/16
青山。友人に誘われ、スパイラルホールへ「寺山修司を歌う 読む 語る」という催しを聴きに行った。わたしも友人も寺山修司に興味は無いが、彼は穂村弘、わたしは町田康が好きなので行った。登壇者は二人のほか俵万智川村毅が居り、トークショウの前に三上博史による詩の朗読があった。それで思い出したのだが、中学生の頃、今はもう無くなってしまった新宿ルミネ2の本屋で偶然手に取った写真集に寺山修司の詩が載っていて、お金が無いので買えないが好きでよく立ち読みしていた。今回のイベントの主催者である田中未知(寺山修司の秘書だったらしい)がその「写真屋寺山修司」という本の編者だったそうだ。「空は空想の流刑地」という一節がとても好きだったので思い出した。穂村弘が「寺山修司は神様からしか見えない景色を歌にしていた(米粒のような遠くからは決して見えないものが見えたり、偶然見かけた車の中に死刑囚が乗っていることを知っていたりする)」と言っていたのが面白かった。町田康が「わたしは寺山修司を読んだことがほとんどありませんが、周りの友達で影響されている人はたくさん居ます」と言っており、何しに来たんだろうと思った。多分彼自身が一番そう思っていただろう。
 
11/19
ニーチェの馬」を観た。面白かった。Amazonのレビューに目を通していたら「緊迫感があり一瞬も目が離せなかった」というような内容が散見されたが、わたしが感じたのは真逆で、この映画に於いて目を離して困る場面なんて一瞬も無かった。人生がいかに虚無であるか、虚無的なのでは無く虚無そのものであるかということをまざまざと突きつけられた。われわれは平面的な繰り返しによって、何十年もかけて短い一日を再現しているに過ぎない。