2015

2015/1/22
学生生活最後の授業が終わった。何となく、やったことが無かったなと思いタクシーで登校した。自宅から大学まで電車で一駅の距離なので、あまり特別の感慨は抱かなかった。
明日提出のレポート二つも書き終え、あと二十八日と三十日締切のレポートを二つ提出したら終わり。平穏に日々を過ごせればと思う。
 
1/29
早起きしてレポートを終わらせようと思っていたが、起床したのが十三時だったので叶わなかった。出掛ける準備をし、渋谷に到着。文化村で「毛皮のヴィーナス」を観た。面白かった。ポランスキーは、「水の中のナイフ」からずっと同じことをやっており、しかも面白くなっているからすごい。「おとなのけんか」も面白かった。そして何より、マチュー・アマルリックの演技が素晴らしかった。演劇は興味が無いが、演劇的と評される映画は大抵好きだ。カサヴェテスの映画は大抵最初舞台でやってから映画化しているし、川島雄三の「しとやかな獣」や黒澤明の「どん底」、……あと他にもあるがすぐ思い出せないので保留。
鑑賞後ハンバーガー屋でハンバーガーを食べ、O-EASTでTychoのライブを観た。スコット・ハンセンが何度もビューティフルナイトだと言っていた。確かに美しい晩だった。
 
2/28
サークルの女の子たちと一泊二日で山形県銀山温泉に行ってきた。一メートル近い積雪を見たのは初めてだった。新幹線に乗っている時、雪の照り返しが眩しくて仕方なかった。到着すると風が強く吹雪いていたので遠出はせず、温泉街で饅頭や日本酒を買った。夜になると温泉街にガス灯が点り、時代劇の舞台のようだった。帰りの列車の中で、携帯電話から成績発表を見た。卒業出来ることが分かった。
 
3/19
四日から十二日にかけて、中学からの友人二名とパリ、ロンドンを旅行した。旅行前、ドイツ文学専攻なのにドイツには行かないのかと何人もの人から言われた。無論ベルリンに行きたいと提案はしたが友人らは全く興味が無いようで、ほぼ無視同然で却下されたのだ。
パリ。オペラ駅近くのアパルトマンに宿泊した。想定していたより寒くなく、よく晴れていたため過ごしやすかった。しかし空気が乾燥しており、朝に洗濯した衣類を干して出掛けると、夕方観光して帰ってくる頃にはぱりぱりに乾いていて干物のようになっていた。パリコレ期間中だったからか、洒落た格好の人ばかりだった。寒いだろうから耳あての付いたフェイクファーの帽子を被って行こうかと思っていたが、暑いしダサいし被って行かなくて本当に良かった。靴も小学生から履いている小汚いコンバースをこの旅で履き潰して捨ててしまおうと思っていたが、友人にみっともないと言われ彼女のフィリップ・リムの革靴を履かされた。メゾンキツネの広告をよく見かけた。ルーブル美術館でいろいろの名画を見たが、何よりそれらが撮影可であることや、館内にカンバスを置いて油絵を描いている人が居たことに驚いた。絵を描いている人はさすがに許可を取っているのかも知れないが、日本の美術館ではそもそも許可が下りないだろうと思った。
パリの人は皆歩くのが速かった。今考えると、単に脚が長いだけだろうが、友人が「歩くのが速いほうがお洒落なんだ」と言い物凄い速さで歩き始め、わたしは歩くのが遅い上にカメラで写真を撮りながらだったのでたまにはぐれてしまい、やや辟易した。お互いの、というか主に自分の精神衛生のために「街並みをゆっくり見たいから別行動しない?」と提案してみたが「協調性無さ過ぎ」と一蹴された。旅行中、街中がなんとなく埃っぽいという話になった。鼻炎持ちの友人が鼻をかむと真っ黒の鼻水が出たと騒いでいたので、もう一人の友人とわたしも鼻をかんでみたところ確かに黒い鼻水が出た。
ドイツに行けなかったかわりに、パリで行きたいところはわたしの要望をほとんど叶えて貰った。「ポンヌフの恋人」が好きなので、ポンヌフに行った。正確にはあの橋はセットだが。モンパルナス墓地へ行き、ゲンスブールの墓参りをした。「リラの切符切り」に因んで切符が何枚も供えられていた。駅を出たところにあった花屋で買った粗末な花束と、切符と、煙草を供えた。写真を撮ったら友人に「バチが当たるよ」と言われた。ゲンスブールのバチなら率先して当たりたい。他にも著名人の墓が多数あったが、ゲンスブールの墓だけでも探すのに一苦労だったので名残惜しかったが止した。その後ドゥ・マゴのテラス席で一服し、文豪の気分を味わった。
ロンドン。ユーロスターという特急列車に乗った。ノッティング・ヒルにあるアパートに宿泊した。家主が猫を飼っているようで、廊下で度々遭遇した。桜のような花をつけている木があったが、アーモンドの木だろうか。滞在期間中、天候は噂に違わず悪かった。雨が降らないだけ良かったのかも知れないが、終ぞ空が霽れることは無かった。灰色の空に黒っぽい鳥(羽が大きく、鴎のような飛び方。鳶?)が何羽も旋回しており、長期間滞在したら鬱病が悪化しそうだと思った。テート・モダンで観たパズ・エラスリスというチリ人の写真家の作品が良かった。顔の無い男女の裸体を描いた絵があり、良いなと思い作家名を見たらルイーズ・ブルジョアだった。ゲルハルト・リヒターの絵が見つからなかったので、学芸員らしき人物に尋ねたが発音が悪かったのか分からないと言われてしまった。その後無事見つけた。
他にも様々な場所に行った。よく歩きよく食べた。人種差別されたら嫌だなと心配だったが、喫茶店のテーブルで現金を広げて清算していたら(無防備過ぎる)店員に危ないよと注意されたりなんだり、パリもロンドンも皆適度な距離感を持って親切に接してくれ有難かった。赤の他人にも親密にせよとは言わないし何より自分が出来ないが、すれ違うだけの人とも声を掛け合い生活しているのは良いことだと思った。
 
3/31
池袋。早起き出来たので新文芸坐で「時計じかけのオレンジ」「博士の異常な愛情」を二回ずつ観た。二回目の「博士の異常な愛情」で最後博士が車椅子から立ち上がる時、謎の感動に包まれた。クララ……。
終わってから大学に行き友人たちに会った。しかし気鬱がやまずどうしようもなかったので、小一時間で辞した。喫茶店に移動し読書した。帰路、外国人に、あなたはとても悲しそうに見えるというようなことを日本語混じりの英語で言われた。これから死ぬまで続く概ね不幸な日々に対し、なんら異議申し立てする権利を持っていない。いつまでも何者でも無い。頭の中にあるものだけが自分の所有物なのだと思う。
 
5/17
就職して二ヶ月が経った。日付が変わる前に就寝し、朝は六時に起床する。酒も飲まず博奕も打たず(つい最近まで、この「打つ」を「薬物を打つ」の意味だと勘違いしていた)女も買っていない。こうやってすべてが平らかになって死んでいくんだろうか。言葉が次々にここから離れていく。少し前までいくらでも下らない話を繰り返していた。咳き込んで声が枯れるまで話した。それがもう疲労で家で寝たくなって、豆腐の白さに涙が滲む。何も選べなかった。全部嘘だった。
 
6/14
原宿。服を買い、ネスカフェに行った。テレビで見たことがあるペッパーくんとかいう人型のロボットが居た。たびたび目が合い気まずかった。人工知能より、人間を機械化するほうに興味がある。どんな重い物も持てる手とか、水上を歩ける足、ステンレス製の羽……。店を出て美容院に行った。いつも正確な周期で来ていた生理が来ない。
 
6/20
化粧を落とさず寝てしまった。最近午前中ずっと憂鬱だ。夜は、最近西馬込に越した友人宅に行った。アロマキャンドルを焚いたら火が強く燃え盛り黒煙がもうもうと立ち昇った。あて海苔を肴にハイボールを飲んだ。線香花火をした。
 
7/22
先週末より夏季休暇を取った。なんとなくタイに行った。一人で海外旅行するのは初めてだった。滞在期間は二泊だったのであっという間だった。バンコクはラムカムヘン駅前にあるホテルに宿泊した。随所に経年劣化は見られたが、思っていたより清潔で広い部屋だった。観光らしい観光はまったくしなかった。象にも乗っていないし寺院にも訪れていない。興味が無いわけでは無く、仏像?くらい見ようかと思っていたのだが、バスの乗り方が分からず諦めたのだった。というのも、停留所の看板にどの系統のバスが停まるのか番号が表記されているのだが、その番号のバスが来ず、書かれていない番号のバスが次々とやって来るのだ。ガイドブックを開くと、「バスの車掌は一切停留所名を言わないので、勘を頼るか、地図を見て下車するしか無い」と書いてあった。結局タクシーに乗ってカオサン通りへ行った。そこはバックパッカーの聖地だとかで、下品な客引きが居たり大麻柄の服が売られていたりと、目に見えて治安が悪そうだった。疲れたので飲み屋に入りタイビールとジントニックを飲んだ。身も心も仏から遠いところへ来てしまったと思った。ジントニックなんて久し振りに飲んだ。タイの学生カップルはスクーターを二人乗りしていた。スクーターの後ろに観光客を乗せてタクシーのように目的地まで連れて行くというのを生業にしている人が居るらしかったので、駅まで乗せて貰った。カーブする時が特に怖かった。
サイアムという渋谷原宿のような雰囲気の街で、銀色のワンピースを買った。比較的都会らしい町並みではあったが、偉い人に言われたからこういう風にしただけで、利便性だとか国際社会の規範に則った発展だとかに関心は無い、という印象を受けた。つまり色々の造形がテキトーだった。警察官がハンモックで昼寝をしていて良かった。
 
9/8
わたしの容姿はとても醜い。あまり街中でも見掛けないくらい醜い。中学生の頃は前髪を目の下まで伸ばして顔を隠していたが、加齢と共にどうしようも無いと思うようになり、未だに前を向いては歩けないがとりあえず普通の髪型をするまでにはなった。しかし会社では、ただ若いというだけで、美しい容姿の先輩よりわたしのほうが優遇されることがしばしばあり、その時の、彼女らの忌々しげな視線といったら無い。でも自分が彼女らの立場だったら同じような目をするだろうから責められない。女優やモデルほど美しくなりたいなどと贅沢は言わないから、せめて他人に不快感を与えないような容姿だったらどんなに良かっただろうと思う。誰にも物怖じせずに話し掛けられて、自分の話をしたり、笑ったりして、もしかしたら誰かに好かれて人並みの恋愛も出来たかも知れない。こんな顔と体で生きていて恥ずかしいとちゃんと思っているから、せめてその一点だけで許して欲しい。何を?
 
10/9
自分に何かがあるから生きるのを許されているのでは無く、周囲の人々が優しいから生きていけるのだと思う。自分に何かがあるよりも、優しい人間が地球上に存在することのほうが良いことだと思う。
 
10/12
「大切なものを失う不安」というのを感じたことが一度も無い。大切なものが自分のものであった試しが無いからだ。わたしが眠っている間に神様が何か重要な仕草をして、世界中の人々はそれを目撃している。むなしい噴水の周りには誰も居ない。水瓶を持った天使の彫刻は冷たく汚い苔の塊になる。
 
12/26
秘密ばかりが増えていく。可能性としての夢を生きていても、痛みがわたしをここに連れ戻す。