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昨日は中学の頃の友人に会った。いつもこういう時、彼女たちをどう表記すべきか分からなくなる。と言うのも、わたしは中高一貫校に通っていたので、高校の学年の数え方は4年生、5年生、6年生であり、中学で知り合った友人は同時に高校の友人でもあるからだ。記憶が正しければ、彼女は入学して最初に仲良くなった子である。その関係性の長さを強調するため、「中学の頃の友人」と書くように一応はしている。

学校は女子校だった。わたしはだから、大学生になるまで男の人が勉強している姿を見たことが無かった。同じ教室に何十人、下手したら何百人もの男の人が一緒に居て自分と同じ講義を聴いている、という状況を信じられるようになるまで随分時間が掛かった。そもそも話す機会も無かった。ロックバンドのライブやジャニス、早稲田松竹なんかに行き、そこで男の人から声を掛けられることはあったが、どの人もとても自分の話が通じる相手には思えなかった。肌は今よりずっと白かった。

当時そういう意識は無かったが、わたしは学校の中で男の役割を充てがわれていた。男の役割と言っても、もちろん背が高いバスケ部の子では無いし、髪の短い軽音楽部のベースの子でも無い(軽音楽部と写真部には所属したことがあるが、どちらも入部初日で挫折した)。それは例えば、その子が髪の毛を切ったら朝一番に気づいて褒めること、授業の合間の10分休みに後ろの席の大して仲良くない子と何となく話していたらその日はもう別のあの子は口を利いてくれないこと、昼休みに教室を訪ねて来た子に誘われ廊下の暗がりで手を繋ぐこと、頬を伝う涙を親指でぬぐってやること、友人の友人に紹介されること、掃除の時間にカーテンと窓ガラスの隙間に二人きりで入り花壇と空と互いの顔とを順に眺めること、バレンタインデーに自分だけ形や大きさの異なるチョコレートを貰うこと、誕生日にお揃いの香水をプレゼントされることだった。その役割自体は良いとも悪いとも、向いているとも不向きであるとも思わなかった。しかしお陰で6年間のうちに何人もの気紛れな女の子たちに振り回される羽目になった。彼女たちを嫌いにはならなかったが、そのような学生生活にうんざりし、ろくすっぽ学校にも行かず本と映画と音楽とインターネットだけが癒し、というさみしい少年期を送ってきた。そしてそういう身勝手な態度(なのか?)がまた彼女たちを苛立たせる。わたしを暗がりに誘い出して手を握ってきた子の中に「カワイちゃん」という子がいた。カワイちゃんの苗字は河合でも川井でも無かった。同じ小学校から来た子がクラスに居たので、何故カワイなのかと聞くと「顔が可愛いから」という理由だった。顔はめちゃくちゃ可愛く、スカートが短く、卑猥で、知る限りでは学年で一番最初に処女を捨てた。

大学に入学し、以前より明らかにそういった振舞いを求められる機会は減った。少なくとも振り回されて疲れるようなことは無くなった。会社勤めが始まったことでほぼ皆無になった。それでも女性と仲良くする方法は、男の人のやり方に近かったと思う。からかうこと、かわいがること、赦すこと。そして未だ女として扱われることに不慣れなままだ。わたしはそんな良いものでは無い。ただの醜悪な怪物だ。愛なんて無い。人間に対し憧れがある。

何故こんな、長らく忘れ去られていた感覚を思い出したのかと言うと、ようやくここで冒頭に戻ることが出来る。すなわち、昨夜友人と夕食を摂るに際し、何を食べたいか問うたところ、「中華」という返答があった。だからわたしは彼女の願いを叶えるため「新横浜 中華」で検索し、近くに中華料理屋があるのが分かったのでそこに行こうと言った。歩いてみると店まで3分もかからなかった。漢字の店名が赤いネオンで縁取られた看板の下に、ラミネート加工されたメニューが立て掛けてあった。汚くも綺麗でも無いごく一般的な中華料理屋で、メニューにはカシューナッツ炒めだのエビチリだの青椒肉絲だのの写真が何枚もずらりと並んでいた。入ろうか、と言うとその何の変哲も無いメニューを眺めていた友人が「やっぱこういう気分じゃない」と言い出した。わたしは「わかった。さっき調べた時、中華屋は他にもいくつかあるみたいだったし、もう少し探してみようか」と言った。彼女は一応頷いたが、何か言いたげな不満そうな表情をしている。

「違うものが食べたいの?」「うん」「何?食べたい物を食べに行こう」「ラーメン」「こういう所のじゃなくて、ラーメン屋さんってこと?」「うん」「何ラーメン?」「…博多」

博多。ここは新横浜だ。今から新幹線に乗って博多まで行けたら素敵だろう。しかし着く頃には寝不足だと言う彼女の機嫌は手の施しようの無いくらい悲惨な状態になっているに違いない。幸いラーメン博物館というラーメン屋が何店舗か入った商業施設が近所に存在するようだった。博多ラーメンがあるかは知らぬが、何店舗かあれば一つくらい彼女のお眼鏡に適うラーメンがあるはずだ。あってください。そう心の中で十字を切りながらラーメン博物館に入ると、先程までの不機嫌はどこへやら、楽しげに写真を撮り始め(ラーメン博物館は、オールウェイズなんちゃらの夕日みたいな、古き良き昭和のニッポンの街並みを再現した内装が施されている)、熊本ラーメン琉球ラーメンとをペロリと平らげ満足げに帰って行った。東横線に乗りながら、懐かしいなと思った。こだわりのある男の人の面倒臭さとは異なる、女の子のそれ。こういうこと言うと今は良くないんですけど。わたしもこういうこと言ってる奴見ると腹立つし。気紛れな男の人も居るし。それでも、その上で、感傷とは程遠い作りを持った脳味噌で以てかわいくて賢明でわがままな彼女たちの顔をぼんやり思い出していた。彼女たちの体の一番柔らかい部分と、わたしの体の一番硬い部分。生まれてから一度も男では無かった女の子たち。あの狂気の日々を覚えているだろうか。わたし同様忘れているのだろうか。みな結婚するとかしないとかしそうとか、そんなような話を誰からともなく耳にする。祝福したいと思う。まったく、自分だけがいつまでも同じ肉体に縛られている。彼女たちと違って羽が無いからここに止まらざるを得ない。たった一人で花壇と空とを順に眺め続けている。